本当に癒される京都のパワースポット研究⑱~安倍清明と平安京の結界~前篇
無差別自爆テロが心配されていた冬季オリンピックも無事終焉を迎え、全ての出場選手並びに関係者の皆さまには、本当にお疲れさまでした。大会の成功を心から祝福いたします。
さて、ここ何回かのパワースポット研究では、完全に日本史最大のミステリーにはまり込んでしまい、日本の黎明期にまで踏み込んでいってしまいました。
おかげで今では賀茂(鴨)一族のミステリアスな魅力にすっかり心を奪われてしまい、その成り立ちから、大和朝廷との関連性まで、中国の歴史書にまで範囲を広げ、現在も進行形で調査を継続しております。
しかし、冷静になって考えてみれば、賀茂(鴨)一族の研究にはまればはまるほど、そもそもブログを開設した当初の目的とは全く異をなしてきており、完全に自己満足の世界に浸ってしまっているということに気づきました。
資料も膨大なうえ、現地に行っての調査も考えると、皆さんに報告できる形にするのに1年単位ほどの時間を要します。
まさしく「ミイラとりがミイラ」ですよね。
そこで、賀茂(鴨)一族の神秘的なベールに包まれた真相は、引き続き調査を継続して行くということで、本筋の京都における「パワースポットの研究」を進めて行きたいと思います。

今回のテーマである、安倍晴明をお祀りする晴明神社
そんなわけで、今回の「パワースポット研究」では、前回少しだけ触れました、日本歴史上で一番有名な「陰陽師」である安倍清明。
また、清明の邸跡と伝わる「清明神社」と、私の提唱する「仏の三角結界」の関係性についてお話ししたいと思います。
安倍晴明(あべのせいめい・921~1005年)は、平安時代の陰陽師で、鎌倉時代から明治時代初めまで朝廷の陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖として有名ですね。

安倍晴明の御影
最近では、本、漫画、または映画等の『陰陽師』で、一躍全国区で有名となったので、今さら私の口からウンチクをたれる必要もないですよね。
一般的な知識は他の方のブログでよく取り上げられていますからね。
このブログを読まれている方も私より詳しい方はたくさんおられるでしょう。
だから省きますね。
(^◇^)

堀川通りから見た「晴明神社」。五芒星の掲げられた鳥居が印象的です
早速本題に入ってしまいますが…
今回のパワースポット研究で、他の方には絶対に見つけられない、また気づいたこともないような研究成果がありました。
それは…
「安倍晴明は、仏の結界の存在を知っていた」と、いうことです。
おいおいって…( ゚Д゚) びっくりするでしょ。
もちろん根拠はちゃんとあります。
それは、「晴明神社」が建てられている場所にあるんです。
東西随一の「陰陽師」である安倍晴明の不思議なパワーをいただこうと、私もよく「晴明神社」に足を運びますが、まぁ~いつ詣でても「晴明さんのパワーにあやかりたい」と、境内はたくさんの人々で賑わっています。
「何を根拠にこれほどの参詣客が訪れるのか?」
やはり、マスコミや、TVの影響なんでしょうね。とにかく凄いですよ。
神社の片隅には、パワーを得ようと瞑想にふけっている方々もたくさん見かけます。

晴明神社のすぐ南にある「一条戻り橋」
晴明は、この橋の影に鬼たちを隠したと云われる。ちなみに「戻り橋」の語源は、以前にお話しした「三好浄蔵」さんに由来します
さて、話を本題に戻しますが、この「晴明神社」の由緒は、一般的には、元々この地に「晴明の邸」があり、晴明の没後、その遺徳を顕彰し、晴明の霊を弔うため創建されたと伝わっています。
その規模たるや、現在の境内の数倍の面積を誇ったと伝わっています。
が、しかし…
最近の研究によりますと、晴明の邸跡だったというのは、まったく「こじつけ」だそうで、実際の「安倍晴明邸」は、数々の研究者の学術調査により「晴明神社」より東南へ5~600メートルほど下った、現在の「上京区西洞院上長者町通り土御門町」に在ったとほぼ確定されています。

晴明の邸があったと伝わる土御門町。京都情緒あふれる町家が連なっている
じゃあ、どうして今の場所に「晴明神社」があるの?
不思議ですよね。
どうしてそんなややこしいことをしたのでしょう。
別に、邸跡などと、由緒をこじつける必要はないでしょう。
これは、何かを重要な事柄を隠そうとしているのではないかと、いつもの私の提唱する「仏の三角結界」のラインをひいてみたわけなんです。
その結果なんですが…
まぁ下の地図を見てください。

現在の「晴明神社」から北東の方角へとラインを伸ばしていくと、私の提唱する「京都三大大社の三角結界」の三つの頂点の一つである「下鴨神社」へと向かいます。
この「下鴨神社」は、何と、彼を「陰陽師」の道へと導いてくれた師匠「賀茂忠行」の出身一族、賀茂(鴨)一族の祖神を祀っている神社なんです。

賀茂(鴨)一族の祖神を祀る下鴨(賀茂御祖)神社
また、南西の方角にラインを伸ばすと、これまた「三大大社の三角結界」のもう一つの頂点であり、賀茂(鴨)一族と京都を二分した渡来系大豪族「秦氏」の祖神として「松尾の猛霊」と畏れられた「松尾大社」へと繋がっています。

秦一族の祖神を祀る松尾大社
つまり、「晴明神社」は、京都を二分した大豪族「賀茂の厳神」の賀茂(鴨)一族と、「松尾の猛霊」の秦一族のアイデンティティの象徴である祖廟を結ぶライン上に存在するのです。
それだけでもビックリですが、何とそれのみならず、下鴨神社へと続いているそのラインをそのまま北東へ延長していくと、そこには、何とこれまた私の提唱する「仏の三角結界」の頂点である「比叡山延暦寺」まで繋がってしまうんです。

平安京の鬼門を護る比叡山延暦寺
これは、一体どういうことでしょう?
非常に不思議な位置関係だと思いませんか。
つまり、「晴明神社」は、安倍晴明の邸跡云々はまったく関係なく、平安京建都以前より、「山背の地」を支配した大豪族が結界を張り護り続けた「三大大社の三角結界」と、平安京遷都後に、最澄さま・空海さんを先頭にした平安新仏教の頭脳集団により「平安の都を守護するため」に張られた、「仏の三角結界」との共通のライン上に何かの意図をもって創建された「結界の一部」ということなんですよ。

「三大大社の三角結界」と「仏の結界」を示す図
「これは偶然か?」
このブログで何度も言っていることですが、「しかし事実なんです」よ。
地図を詳細に見てみると、若干現在の「晴明神社」とずれが見られますが、現在の社殿は昭和25年に建て替えられたそうなんです。
この神社は、創建当初には莫大な敷地面積を誇っていたわけですから、当時神社の境内では、おそらくこのライン上に何か重要なものが、奉安されていたことでしょう。
なぜ、この場所に?
「晴明」は、自らが持てる「陰陽師」の算術技術を駆使してこの地点を割出し、死後は「結界を護る神」としてこの地点に鎮座したのか?
はたまた、この二つの結界の秘密を知る他の誰かが、「晴明」の死後もその「呪術の力」で、平安京の王城鎮護のため、この神社を創建したのか?
想像するだけでワクワクしますよね。

晴明神社の本殿 脇には安倍晴明の銅像が安置されている
さて、みなさんが一番知りたい「この神社は、どんなパワーに溢れているか」?
つまり、どんな御利益がいただけるかですが。
まぁ、平安京を護る上で「三大大社の三角結界」と「仏の三角結界」という二つの結界が重複する、重要な地点に、これほどの霊力を持った晴明が「神」として祀られているのですから、「京都におけるパワースポット」として、かなりの「パワー」がいただけるのは、間違い無いでしょう。
先日TVの何とかロードショーで放映された『陰陽師』の、平安京を護る「晴明」のワンシーンが目に浮かんできますが、まさしくそのシーンのパワーが実際に込められているパワースポットだと思いますよ。
ただ、このブログを読まれて「晴明神社」へと参詣に訪れるかたにお願いしたいのは、マスコミ等に煽られたスピリチュアルブームで「安倍晴明」のパワーをいただきに行くのではなく、「晴明」が、その死後も「平安京」の平安を恒久に願い、現在を以ても「神」として鎮座されているという「晴明神社」が創建された深くてありがたい本来の意味をよく理解して、日々の感謝の気持ちを抱いてお参りしてほしいものですね。
そうすれば、想像以上の御利益が得られると思います。
いや、実際に!
いるんですよ、過去実際に御利益を得た方が。
次回は、「安倍晴明」のもたらした御利益によって実際に「巨万の富と名声」を得た一族のお話をするつもりです。
楽しみにしておいてください。(^^)/
ちなみに「晴明神社」へは、京都市営バスか自家用車でないと行けません。
地下鉄ですと、最寄りの駅は今出川駅となりますが、ここからだとガッツリ30分は歩かないとダメですので、市バスにしといた方が賢明です。
市バスは、JR京都駅からは9番で「一条戻橋・晴明神社前」下車 徒歩3分くらい、阪急だと四条烏丸駅、地下鉄四条駅より12番「一条戻橋・晴明神社前」。
京阪電車三条駅から市バスの12番、59 番」「堀川今出川下車になります。
自家用車は、神社の隣に「コインパーキング」があります。20分100円でお安いですが、空いているところを見たことがないので、注意が必要ですよ。
さて、ここ何回かのパワースポット研究では、完全に日本史最大のミステリーにはまり込んでしまい、日本の黎明期にまで踏み込んでいってしまいました。
おかげで今では賀茂(鴨)一族のミステリアスな魅力にすっかり心を奪われてしまい、その成り立ちから、大和朝廷との関連性まで、中国の歴史書にまで範囲を広げ、現在も進行形で調査を継続しております。
しかし、冷静になって考えてみれば、賀茂(鴨)一族の研究にはまればはまるほど、そもそもブログを開設した当初の目的とは全く異をなしてきており、完全に自己満足の世界に浸ってしまっているということに気づきました。
資料も膨大なうえ、現地に行っての調査も考えると、皆さんに報告できる形にするのに1年単位ほどの時間を要します。
まさしく「ミイラとりがミイラ」ですよね。
そこで、賀茂(鴨)一族の神秘的なベールに包まれた真相は、引き続き調査を継続して行くということで、本筋の京都における「パワースポットの研究」を進めて行きたいと思います。

今回のテーマである、安倍晴明をお祀りする晴明神社
そんなわけで、今回の「パワースポット研究」では、前回少しだけ触れました、日本歴史上で一番有名な「陰陽師」である安倍清明。
また、清明の邸跡と伝わる「清明神社」と、私の提唱する「仏の三角結界」の関係性についてお話ししたいと思います。
安倍晴明(あべのせいめい・921~1005年)は、平安時代の陰陽師で、鎌倉時代から明治時代初めまで朝廷の陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖として有名ですね。

安倍晴明の御影
最近では、本、漫画、または映画等の『陰陽師』で、一躍全国区で有名となったので、今さら私の口からウンチクをたれる必要もないですよね。
一般的な知識は他の方のブログでよく取り上げられていますからね。
このブログを読まれている方も私より詳しい方はたくさんおられるでしょう。
だから省きますね。
(^◇^)

堀川通りから見た「晴明神社」。五芒星の掲げられた鳥居が印象的です
早速本題に入ってしまいますが…
今回のパワースポット研究で、他の方には絶対に見つけられない、また気づいたこともないような研究成果がありました。
それは…
「安倍晴明は、仏の結界の存在を知っていた」と、いうことです。
おいおいって…( ゚Д゚) びっくりするでしょ。
もちろん根拠はちゃんとあります。
それは、「晴明神社」が建てられている場所にあるんです。
東西随一の「陰陽師」である安倍晴明の不思議なパワーをいただこうと、私もよく「晴明神社」に足を運びますが、まぁ~いつ詣でても「晴明さんのパワーにあやかりたい」と、境内はたくさんの人々で賑わっています。
「何を根拠にこれほどの参詣客が訪れるのか?」
やはり、マスコミや、TVの影響なんでしょうね。とにかく凄いですよ。
神社の片隅には、パワーを得ようと瞑想にふけっている方々もたくさん見かけます。

晴明神社のすぐ南にある「一条戻り橋」
晴明は、この橋の影に鬼たちを隠したと云われる。ちなみに「戻り橋」の語源は、以前にお話しした「三好浄蔵」さんに由来します
さて、話を本題に戻しますが、この「晴明神社」の由緒は、一般的には、元々この地に「晴明の邸」があり、晴明の没後、その遺徳を顕彰し、晴明の霊を弔うため創建されたと伝わっています。
その規模たるや、現在の境内の数倍の面積を誇ったと伝わっています。
が、しかし…
最近の研究によりますと、晴明の邸跡だったというのは、まったく「こじつけ」だそうで、実際の「安倍晴明邸」は、数々の研究者の学術調査により「晴明神社」より東南へ5~600メートルほど下った、現在の「上京区西洞院上長者町通り土御門町」に在ったとほぼ確定されています。

晴明の邸があったと伝わる土御門町。京都情緒あふれる町家が連なっている
じゃあ、どうして今の場所に「晴明神社」があるの?
不思議ですよね。
どうしてそんなややこしいことをしたのでしょう。
別に、邸跡などと、由緒をこじつける必要はないでしょう。
これは、何かを重要な事柄を隠そうとしているのではないかと、いつもの私の提唱する「仏の三角結界」のラインをひいてみたわけなんです。
その結果なんですが…
まぁ下の地図を見てください。

現在の「晴明神社」から北東の方角へとラインを伸ばしていくと、私の提唱する「京都三大大社の三角結界」の三つの頂点の一つである「下鴨神社」へと向かいます。
この「下鴨神社」は、何と、彼を「陰陽師」の道へと導いてくれた師匠「賀茂忠行」の出身一族、賀茂(鴨)一族の祖神を祀っている神社なんです。

賀茂(鴨)一族の祖神を祀る下鴨(賀茂御祖)神社
また、南西の方角にラインを伸ばすと、これまた「三大大社の三角結界」のもう一つの頂点であり、賀茂(鴨)一族と京都を二分した渡来系大豪族「秦氏」の祖神として「松尾の猛霊」と畏れられた「松尾大社」へと繋がっています。

秦一族の祖神を祀る松尾大社
つまり、「晴明神社」は、京都を二分した大豪族「賀茂の厳神」の賀茂(鴨)一族と、「松尾の猛霊」の秦一族のアイデンティティの象徴である祖廟を結ぶライン上に存在するのです。
それだけでもビックリですが、何とそれのみならず、下鴨神社へと続いているそのラインをそのまま北東へ延長していくと、そこには、何とこれまた私の提唱する「仏の三角結界」の頂点である「比叡山延暦寺」まで繋がってしまうんです。

平安京の鬼門を護る比叡山延暦寺
これは、一体どういうことでしょう?
非常に不思議な位置関係だと思いませんか。
つまり、「晴明神社」は、安倍晴明の邸跡云々はまったく関係なく、平安京建都以前より、「山背の地」を支配した大豪族が結界を張り護り続けた「三大大社の三角結界」と、平安京遷都後に、最澄さま・空海さんを先頭にした平安新仏教の頭脳集団により「平安の都を守護するため」に張られた、「仏の三角結界」との共通のライン上に何かの意図をもって創建された「結界の一部」ということなんですよ。

「三大大社の三角結界」と「仏の結界」を示す図
「これは偶然か?」
このブログで何度も言っていることですが、「しかし事実なんです」よ。
地図を詳細に見てみると、若干現在の「晴明神社」とずれが見られますが、現在の社殿は昭和25年に建て替えられたそうなんです。
この神社は、創建当初には莫大な敷地面積を誇っていたわけですから、当時神社の境内では、おそらくこのライン上に何か重要なものが、奉安されていたことでしょう。
なぜ、この場所に?
「晴明」は、自らが持てる「陰陽師」の算術技術を駆使してこの地点を割出し、死後は「結界を護る神」としてこの地点に鎮座したのか?
はたまた、この二つの結界の秘密を知る他の誰かが、「晴明」の死後もその「呪術の力」で、平安京の王城鎮護のため、この神社を創建したのか?
想像するだけでワクワクしますよね。

晴明神社の本殿 脇には安倍晴明の銅像が安置されている
さて、みなさんが一番知りたい「この神社は、どんなパワーに溢れているか」?
つまり、どんな御利益がいただけるかですが。
まぁ、平安京を護る上で「三大大社の三角結界」と「仏の三角結界」という二つの結界が重複する、重要な地点に、これほどの霊力を持った晴明が「神」として祀られているのですから、「京都におけるパワースポット」として、かなりの「パワー」がいただけるのは、間違い無いでしょう。
先日TVの何とかロードショーで放映された『陰陽師』の、平安京を護る「晴明」のワンシーンが目に浮かんできますが、まさしくそのシーンのパワーが実際に込められているパワースポットだと思いますよ。
ただ、このブログを読まれて「晴明神社」へと参詣に訪れるかたにお願いしたいのは、マスコミ等に煽られたスピリチュアルブームで「安倍晴明」のパワーをいただきに行くのではなく、「晴明」が、その死後も「平安京」の平安を恒久に願い、現在を以ても「神」として鎮座されているという「晴明神社」が創建された深くてありがたい本来の意味をよく理解して、日々の感謝の気持ちを抱いてお参りしてほしいものですね。
そうすれば、想像以上の御利益が得られると思います。
いや、実際に!
いるんですよ、過去実際に御利益を得た方が。
次回は、「安倍晴明」のもたらした御利益によって実際に「巨万の富と名声」を得た一族のお話をするつもりです。
楽しみにしておいてください。(^^)/
ちなみに「晴明神社」へは、京都市営バスか自家用車でないと行けません。
地下鉄ですと、最寄りの駅は今出川駅となりますが、ここからだとガッツリ30分は歩かないとダメですので、市バスにしといた方が賢明です。
市バスは、JR京都駅からは9番で「一条戻橋・晴明神社前」下車 徒歩3分くらい、阪急だと四条烏丸駅、地下鉄四条駅より12番「一条戻橋・晴明神社前」。
京阪電車三条駅から市バスの12番、59 番」「堀川今出川下車になります。
自家用車は、神社の隣に「コインパーキング」があります。20分100円でお安いですが、空いているところを見たことがないので、注意が必要ですよ。
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