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本当に癒される京都のパワースポット研究①~下鴨神社編~

 しばらく忙しかったので、なかなか京都の探索に出れなかったのですが、やっとゆっくり時間ができたので、今回は、日本を代表する「パワースポット」である京都がなぜ、1200年もの長きにわたり都であり続けたのかを、歴史的かつ宗教や地勢学を含めた総合的な視点から検証したいと思います。

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威厳ある下鴨神社の楼門

 京都が風水をもとに四神相応(しじんそうおう)の理論で造営された都だというのは有名な話ですね。
実際京都には、

北に玄武(げんぶ・山が連なり) 北山連峰
東に青龍(せいりゅう・川が流れ)  鴨川
南に朱雀(すざく・海や湖があり)巨椋池 今は干拓されていますが
西に白虎(びゃっこ・大街道がある)山陰・山陽道
鬼門の方角に大きな寺院 延暦寺

が配置され、その中央に黄龍(おうりゅう・都)があり、風水上完璧な大都市のモデルだと云われています。

 これだけでも十二分に都としての機能を果たせると思うのですが、京の都にはそれ以上に、地勢的重要地点の穢(けがれ)を払い、都の長きの繁栄を祈願したと思われる遺構がたくさん現存しています。

 その代表的なものが、将軍塚の存在でしょう。
 
 東山の山頂近くの京都盆地をおしなべて見下ろせる地点に、桓武天皇が平安京の鎮護安穏(ちんごあんのん)を祈念した「将軍像」を埋められた場所と伝わりますが、これは風水には関係なく、京都独自の地鎮法だと思われます。
 
 「そんな2重3重にも結界が張り巡らされ、千年以上にわたり京都を護り続けた遺構に「龍のパワー」が宿らない訳が無い」

 当時いろいろな悩みと将来への不安を抱えた私は、こう考えました。スピリチアルにかぶれ始めていたのもあり、藁にもすがる思いで取り付かれたかのように京都の神社、大寺院と、いわゆる「パワースポット」を廻り始めました。そしてその記録を纏めるために、ノートに書き綴っていると、ある一定の法則を見つけ出すことができました。

 その場所を丁寧に巡拝し続けることで、本当に奇跡のようなタイミングと勝縁で今の職を手に入れ、悩みのない落ち着いた生活を手に入れることができたと思います。

 これから何回かに分けて、巡礼を続けたパワースポットの場所と起源、なるべく詳しく縁の話などを交えながら紹介し、このブログを見ていただいた方々が少しでも癒され、勝縁を得ることができるならばと思います。
 ただし金運には全く作用しなかったので、よこしまな気持ちで巡拝しても全く意味がないと思いますよ。(^_^;)

 さて、記念すべき第1回目は、下鴨神社を紹介したいと思います。
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楼門をくぐり、舞殿から本殿を拝す

 正式な名称は、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と云い、有史以前から京都を治めた「賀茂氏」の産土神(うぶすなかみ)として、日本でも最古の神社の一つに数えられています。
 5月15日には三大勅使祭の一つ「葵祭」(あおいまつり)が営まれ、古来より京都では、比叡山を「やま」というように「祭り」という言葉は、この葵祭りの代名詞として使われてきました。


 古事記や日本書紀にも記述があり、神武天皇(じんむてんのう・初代の天皇)東征の際、弓矢の上にとまり、熊野の国から大和の国へ案内を果たした「八咫鴉」(やたからす・サッカー日本代表のトレードマークとして有名ですね)を神格化した、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を西殿に、またその娘の玉依姫命(たまよりひめのみこと)を東殿に主祭神としてお祀りしています。

 この玉依姫命は、比叡山越えた山王総本宮日吉大社(さんのうそうほんぐうひよしたいしゃ)の主祭神、また、京都をまたいだ松尾大社(まつおたいしゃ)の主祭神でもある大山咋神(おおやまくいのかみ)と結婚し、上賀茂神社の主祭神である賀茂別雷大神(かもわけいかずちのおおかみ)を産み落とすことになり、この産み落としの神事が大津市坂本で毎年4月13日に行われる日吉山王祭の「宵宮落とし」(よみやおとし)の神事と云われます。

 私の勝手な推測なんですが、自らの産土神をこうやって神話の中でお互いに結びつけることで、古来から京都の地を治めた賀茂氏や秦氏(はたし)という大豪族と、大和朝廷が、この地の統治の正当性を誇示したのだろうと思いますね。

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 京阪本線を出町柳駅で下車し、5分ほど歩くと参道である「糺の森」(ただすのもり)へと到着します。
車で行っても、参道口の真ん前に結構大きな駐車場があるので、アクセスは非常に便利です。
 この駐車場の料金は、30分で150円。1日最大で1200円なので、そんなに高い料金ではないでしょう。

 上の写真は糺の森の内部で、参道の真ん中には、「瀬見の小川」、東には「泉川」が流れ、外部の京都市街に比べ、ほんの50mほど中に入るだけで、3~4℃ほど涼しくなります。本当に空気が「キリッ」と引き締まるのが実感できますよ。
 高野川と賀茂川の三角州にある湿地帯で、有史以前より神域のため、2千年以上一切手つかずの自然が残っており、京の都の穢を祓い続けたパワーが森全体に満ち溢れています。
 
 ちなみに私が写真を撮りに訪れた日は、12日間の連勤と、前日に「親知らず」を抜歯して、その痛みからイライラしていたのですが、神域にいる間には見事に痛みが取れてビックしました。 摩訶不思議なようですが事実です。本当に心身ともに癒されました。

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糺の森を10分ほど歩くと、下鴨神社にたどり着きます。

 楼門をくぐり、本殿において神様に日頃の感謝の誠を捧げた後は、御手洗池(みたらしいけ)に行きましょう。

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 本殿横には、御手洗池があります。文字通り葵祭りで「斎王代」(さいおうだい)が御手を洗われる池なのですが、暑い日にこんこんと湧き出る湧水に歩き疲れた足を浸すと、この場から離れる事が嫌になるほど気持ち良いですよ。
 ちなみに、この湧水が湧き出る時の泡の形をモチーフしたのが「みたらし団子」と云われています。

 以上が参詣の流れですが、京都に旅行で来られるかたは、観光スポットを何ヶ所も1日で回るのではなく、半日をこの糺の森と下鴨神社で過ごして欲しいですよね。日程がきついでしょうけど。

 ベンチに座って何も考えず、ゆっくり深呼吸しましょうよ! 確実に癒されますから。(^-^)

 また、糺の森の入口付近には、日本三大随筆の一つ『方丈記』を著した「鴨長明」(かものちょうめい)ゆかりの「河合神社」もあります。「美人の社」として有名ですので、お帰りの際にはぜひ参詣してください。


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こってりラーメンが好き!~京都のラーメン情報①~

 最近また、ちょくちょくとラーメン屋さんには通っているのですが、ブログでは中々単発でラーメン記事を出すことに気が引けるのと、場所をどうやって伝えれば良いかの壁にぶち当たっていました。

 ネット等で調べると、出てくる出てくる。地図を貼り付けるのって案外簡単やったんですね。(^-^)
まだまだブログが技術的に未熟ですが、今回は、情報雑誌に惑わされない自分の味覚と感性でラーメン評論をしてみたいと思います。

 まずは、三条木屋町の高瀬川を曲がってすぐにある「長浜ラーメンみよし」。赤い「長浜ラーメン」の暖簾と、いつ何時でもお客さんがいるので、初めての人でもすぐにわかります。ラーメン1杯600円
三好
 京都を代表するとんこつラーメンなので、知らない人はまずいないでしょう。
京都人に「長浜のとんこつ」ラーメンを印象づけた、代表的なアッサリでもなくコッテリし過ぎず、まさしく豚骨の旨みを徹底的に抽出した定番の白濁スープ。
 麺は本場のストレート細麺。替え玉も1玉100円で、味を飽きさせないために天かすや紅しょうが、唐辛子に高菜の炒め物と、自由に味付けを楽しむことができます。
 若かりし頃、夜遊びの帰りに「みよし」に行き、注文した1杯目を麺だけほお張り、替え玉を注文してから高菜をどっさり入れ、ゆっくり食べ始める。そのうち友達なんかと意地の張り合いになり3杯目へ、麺の味しかしない4杯目に突入というパターンが常でしたね。今は断念ながら2杯で満足しています。

 24時間いつでも開いているというのも強みでしたね。酒の匂いプンプンさせながら朝方の木屋町に車を停めて店になだれ込むというパターン。(^_^;)

 ただ、難点はやっぱりとんこつラーメン屋は「臭い」んです。ラーメンの臭みはとんこつの芳醇は香りと思えるのですが、店が臭い!汚い! 潔癖症の人には絶対行けない店です。
 まぁ最近のラーメン屋さんが綺麗すぎるのもありますけどね。

 味は、若い頃ノリで「本場の長浜ラーメンと食べ比べてみよう」と、みよしを食べてから、博多の有名長浜ラーメンの店(名前を覚えていませんが、競艇場の近くにあり、店の内部に「子どもが走らないように」みたいな看板があったお店でした)まで8時間かけて行ったのですが、全く遜色なかったので、間違いはないでしょう。
 ただ、やっぱり店の汚さは複雑ですよね。

 
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地図を貼り付けました。参考に一度行って見てください。


 さて次は、
 京都発祥の定番ラーメン「天下一品」。京都では一般的に「天一(てんいち)」と呼ばれ、ラーメンとは別カテゴリーとして認識されているので、「ラーメン食べに行こう」と人を誘っておいて、「天一」に行くと「てんいちかい(>_<)ラーメンゆわんと天一ゆわんかい!紛らわしい(-.-;)」などと、意味不明にツッコまれる対象となりますので気を付けてください。
ラーメンこってり1杯680円。写真は平日限定チャーシューご飯セットで780円
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 写真は大津市の唐崎店のものですが、おそらくこれだけの規模だとセントラルキッチン制をとっているでしょうから、どこで食べても味は一緒だと思いますよ。

 この天一のコッテリラーメンは、チェーン展開しているラーメン店が大嫌いな私でも、たまに無性に食べたくなりますね。
 味は、鶏がらと野菜を徹底的に煮込みゴテゴテになっていますが、とんこつベースのラーメンほどしつこくなく、鳥ガラベースのチャンコ鍋を食べ終わり、シメにダシの中に麺を放り込んでゴテゴテに煮込んだ味と表現すればいいかもしれないですね。
 コテコテ感のある割に、食べ終わってもそんなに喉が渇かないです。とんこつ系は、食べ終わってから2~3時間後が辛いですからね。

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地図は北白川の総本店を貼りました。せっかく京都に来たのでオリジナルを求める方は、総本店にいらしてください。

 
 最後は、最近行った店で、一番のお気に入りを紹介します。

 四条通りを大宮を越し壬生まで行くとJRの高架の近くに四条通りに面した、屋台調のとんこつラーメン「ガッツン」があります。カウンターのみのお店で、道路とは雨よけのビニールのみなので、店の前に車で乗り付けても駐禁の切符を切られる心配はありません。(道徳的な観念は別ですが(^-^))
こってりとんこつラーメンは一杯680円。写真は大盛り780円でした。DSC_0458.jpg
 ここのラーメンは、「天一のとんこつバージョン」と言って良いでしょう。
とにかく濃い!(>_<) さすがに「ガッツン」を名乗るだけあります。

 麺は縮れ面で、醤油とんこつの濃厚なスープによく絡みます。久しぶりに男のラーメンを堪能しました。
 店員さんの態度も良く、おまけに全国各地の唐辛子が多数置かれており、それぞれの微妙な辛さの違いで、少しずつ変わるラーメンのうま味を楽しめます。
 特筆すべきは店長さんらしき人が、1杯1杯ごとに麺とスープの味を自らの舌で確認しているところでした。味に妥協しないのは素晴らしいけれども、明らかに同年代のオッサンやったので、「体わるうするで!」とつぶやいてしましました。
 味、こってり感、店員さんの対応、味と量に対する値段のすべてに満足できました。

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調べたところ、滋賀県草津市南草津に本店があるそうですね、一度本店にも行ってみようと思います。

 今日は3軒を紹介しましたが、京都や付近在住の方々にはメジャー過ぎて物足りなかったと思いますね。
まだまだネタがありますので、今後もこんな調子で、良くも悪くもちょくちょく紹介していきたいと思います。

 

各地の地蔵盆に行ってみた~坂本六地蔵巡礼~

 8月の23日から24日にかけて、全国的に各地の路地辻にある地蔵堂において「地蔵盆」が執り行われます。
比叡山麓の坂本地区においても、今日は各町内の路地に祀られているお地蔵様に、子どもたちが手を合わせている場面に良く出くわします。

 最近、毎回坂本のネタばかりで恐縮ですが、夏休みが明けてから、色々な重要法要が重なって休みが取れない上、ほぼ毎日坂本界隈をウロウロしていますので、もうしばらく『坂本時報』ネタで勘弁してください。(^^;

 しかし坂本の町というところは、ほんの2~3Km四方の区域の割に、織田信長による焼き討ちはあったものの、歴史的価値の高い建造物や遺物が多く、地域の皆さんが伝統を後世に伝えていこうという意識も高いので、他の観光地に比べると相当に密度の濃い観光を楽しめると思うのですが…
 圧倒的に観光客も少ないですし、気候の良い季節に、一日ゆっくりと司馬遼太郎の『街道をゆく16比叡の古道』を読みながら探索したいものです。


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 さて、話を地蔵盆に戻しますが、そもそも地蔵盆とは、六道(天・人・阿修羅・餓鬼・畜生・地獄)に迷える一切の衆生を救ってくださる地蔵菩薩の縁日が毎月24日ということと、盂蘭盆会(いわゆるお盆の期間)が8月に執り行われるのを兼ねて、いつも子どもたちを見守って下さっているお地蔵様に、日頃の報恩と感謝の誠を捧げる慣わしで、特に近畿地方では盛大に行われているそうです。

 坂本地区においては、霊験あらたかな『坂本六地蔵』が有名で、早尾(はやお)、明良(あきら)、穴太(あのう)、阿波羅家(あばらや)、比叡辻、苗鹿(のうか)の6ヶ所に、伝教大師様がお造りになったと伝わる地蔵菩薩像が、第3世天台座主の慈覚大師によって今の地に据え置かれたと云われています。

 通常では、拝観をしていない地蔵堂もあるのですが、本日は「地蔵盆」の日ですので、すべての地蔵堂で法要が営まれ、一般にも公開しています。
 そんな訳で、年に1度しかないこの機会に、六地蔵の巡礼を兼ねてレポートをしてきました。
 
 
 上の写真は早尾地蔵で、坂本六地蔵の中心を担っています。
 比叡山の入口の本坂(ほんざか・坂本の地名は、この本坂の本にあることから名付けられました)と日吉大社の三の鳥居の中間にある、六角形のお堂の中に祀られた地蔵尊は、「子育て地蔵」と呼ばれ、安産や子宝、頭の病にもご利益があるそうです。

 また、比叡山の数ある僧侶の中でも、六名しかおられない朝廷から謚号(しごう)を諡られたうちの一人で、西教寺の天台真盛宗を開いた慈摂大師(じしょうだいし)真盛上人(しんせいしょうにん)がお生まれになられた時、この地蔵尊が姿を消し、ご逝去されてから再びこのお堂に戻ったと云う故事から、真盛上人はこの早尾地蔵の生身と云われ、よって「かくれんぼ地蔵」とも呼ばれています。

 訪れた時には、ちょうど法要中で、すぐ近くの里坊求法寺(ぐぼうじ)の住職で延暦寺執行(えんりゃくじしぎょう・天台座主より延暦寺の一切の取り仕切りを託された、謂わば会社でゆう社長)さんが導師を勤めておられました。
 
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 次は、坂本の街の真ん中あたりに位置する明良地蔵。
このお地蔵さんは普段公開していませんが、ちょうどこの日はお堂に伝わる宝物の虫干しも兼ねており、年に1度の勝縁を頂きました。
 胸や胃腸の病にご利益があるとのこと。
記録を残したいと地域の方に話すと、気軽に写真を撮らせてくれました。
穴太
 鶴喜そばの前から、坂本らしい歴史的情緒溢れる路地を唐崎方面に向かうと、坂本のはずれ、ちょうど穴太との境目に穴太地蔵があります。
 このお地蔵さんは、北国街道が滋賀から穴太へさしかかる曲がり角の三叉路にあるため「まわり地蔵」とも呼ばれ、人生の選択を迫られるような時、例えば受験や就職のなどの良縁にご利益があり、また、村の入り口に安置されて病気や災難が入り込まぬよう守って下さるので「延命地蔵」とも呼ばれています。
 ここもちょうど法要が営まれていましたが、地域の方々が気軽に写真を撮らせてくれました。

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 坂本の平和堂(アルセ)横にある阿波羅屋地蔵。
この「アバラヤ」は大日如来の御真言の一説を名前の由来としており、決してボロ家の「アバラ家」ではありません。下半身の病にご利益と云われていますので、41歳のオッサンはひときわ丁寧にお参りしておきました。(^-^)
あと、子どもの「疳の虫」や「夜尿」にもご利益があるそうです。

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 そろそろバテてきましたが、もうひと踏ん張り。
ここは、坂本から少し離れますが、雄琴から国道161をまたぎ、苗鹿(のうか)の那波加神社(のうかじんじゃ)の前の細い山道を10分ぐらい登った所にある「法光寺」内の苗鹿地蔵です。この地蔵堂のみ、延暦寺とは別の天台寺院の中にあります。
 さすがに、到着が夕方近くになったので、法要が終わり後片付けの最中でした。このお地蔵さんは足腰の健康にご利益があるそうです。

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 最後は、坂本から161号をまたいだ比叡辻の観福寺にある、比叡辻地蔵。
旧北国街道沿いにあり、坂本の門前町の風情とはまた一味違った街道筋の情緒に溢れています。
 湖西から北国へ向け旅立つ数多の人々が「旅の安全」を願い、この比叡辻のお地蔵さんに祈ったことでしょう。

 お地蔵さんの右上部の損傷は、織田信長の軍勢による破壊の傷跡だそうです。歴史は教科書の中ではなく、実際にあった生々しさの積み重ねであることを実感させられますね。(T ^ T)


 以上、足早に車で駆けつけてレポートしました。
 今回は、とにかく公開しているお地蔵さんのお写真を残しておきたかったので、写真に重きを置きましたが、次回は、もう少し季節が落ち着いてからチャリンコでゆっくりと、一つ一つのお地蔵さんと対話するように巡りたいものです。
 心あるかたは、一度巡礼してください。年に一日くらいは、ゆっくりと6ヶ所を巡って自分と見つめ合ってみるのもいいものですよ。
 
坂本六地蔵の詳しい位置はこちらをクリックしてください。Googleマップにリンクします。

過ぎ行く夏を偲んで~坂本生源寺の夏祭り~

 8月もお盆が終わると、なんとなく過ぎ行く夏に後ろ髪を引かれるような、心なしか、少し寂しい気持ちになってきますね。
 15日の終戦記念日を迎える頃から、TVなどで戦争特番の放映を見たりすると、移り変わりつつある季節感と合わせ、感傷的な気持ちになってきます。

 そんな中、比叡山麓の坂本生源寺では、宗祖伝教大師さまのご生誕された8月18日に合わせ、毎年17日、18日と2日間にわたって「伝教大師お誕生会」を営んでいます。また、地域が一丸となり、その2日間は生源寺境内において「坂本ふれあい夏祭り」も開催されているそうなので、行って見ることにしました。

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 伝教大師さまにお焼香を手向ける子どもたち。目前にある五色の絹布で組まれた組紐は、伝教大師の高弟である慈覚大師(じかくだいし794~864年)のお手作と伝わるご本尊の十一面観音菩薩へと繋がっており、観音様と一体となることができる

 期間中本堂では、各諸法要が修されており、また、境内ではやぐらやステージが組まれ、夕方から盆踊りや落語会などが執り行わるそうです。
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午後6時半、盆踊りが始まる


 わたし的には、やっぱり盆踊りは『江州音頭』が一番ですね。

 子どもの頃には、この時期になると近所の児童公園から、「あら~よいと、こ~らまか、どっこいさのせ~」との掛け声が聞こえて来て、子供ながらにテンションが「クイッ!」と上がってしまい、「冷やしあめ」で口のまわりと手がベットベトになりながら踊ったもんですが、近頃は全くといっていいほど聞かれなくなってしまいましたね。
 色々な伝統芸能の継承が問題化されていますが、『江州音頭』の継承も本気で考えないといけませんね。ただ、諸メジャーな伝統芸能に比べ、公演期間も限られる民間芸能では若干地味目なので、若者はあまり興味を持たないかないかもしれませんね。(´;ω;`)

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夜も更けて来て、生源寺の門前には、ご先祖様を偲び奉納されたたくさんの提灯が連なります

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盆踊りが終わり、地元の有志によるコンサートと落語会が始まった。境内では生ビールや、フランクフルト、焼きそばなどが10種類ほど売られ、その他金魚すくいまでやっており、地域主催の夏祭りとしては、かなり質の高い夏祭りです。
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比叡山高校吹奏楽部の演奏もありました。まさに地域が一体となっています。


 日吉山王祭の時も思いましたが、坂本の町の人たちは本当にスゴイですよね。伝統を継承しようと本当に頑張ってられるのが、ガンガン伝わって来ます。

 しかし私が生まれた村では、なぜ夏祭りをしなくなったのでしょうか? いつも考えることなのですが、伝統行事に対する意識が一般の方よりも高く、しかも近い位置にいる私自身が、結局考えているだけで何も行動を起こしてないのですから、伝統が廃れるには十分な理由ですよね。

 あの児童公園で、もう一度「盆踊り」を踊りたいなぁ~(^_^;)
お祖父ちゃんの家の裏の畑から、公園の非常用の出入口にちょちょっと入れるんですよ。(^-^)

境内自体が博物館~山麓坂本の聖衆来迎寺~

8月16日は、「五山の送り火」の日。

 午後8時、大文字山の送り火の点火を皮切りに、次々と、松ヶ崎妙法・舟形万燈籠・左大文字・鳥居形松明に火が灯され、精霊(おしょらい)を送り、この送り火を以て、祇園祭に始まった京都の夏に終りを告げます。
 そのためこの送り火以降、京都ではいわゆる夏祭り的な行事は一切なくなります。
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 本来なら家族が集い、それぞれの家に近い送り火に向かって、少し寂しげに感じながら、再び彼岸へと旅立つご先祖(精霊)に手を合わせるのが慣わしなのですが、そこは天下の観光地京都。人人人で、鴨川の河畔などは夕方から人が陣取って、歩道といえど7時半になると人も歩けません。(>_<) 交通規制の為か、昨日の福知山における事故のせいか、夜店も全く出ておらず、時間に換算すると約30分たらずの行事のために、この爆発的人口密集地に行くにはちょっとしんどいかもしれないですね。

 わたしは、チャリンコトレーニングのついでにカメラを持って、写真だけ撮りに行きました。


 さて、ご覧の通り古都京都では、この「五山の送り火」が16日の名物となっていますが、同じく16日に京都から比叡山をまたいだ山麓坂本で、送り火の影に隠れたもう一つの名物行事があります。

 その名も紫雲山聖衆来迎寺(しうんざんしょうしゅうらいごうじ)の「虫干し」。
微妙に地味な名前の行事ですが、知る人ぞ知る伝統行事なので、一見に行ってみました。
 
 聖衆来迎寺は、国道161号の雄琴と坂本のちょうど中間くらいにあるお寺で、開基は宗祖伝教大師さま、浄土門の始祖の恵心僧都(えしんそうず)を中興の祖とする由緒ある伝統の古刹です。
 場所的には、地元の人には、カネカとアサヒ自工の所のお寺と言えばわかりやすいでしょう。
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 門をくぐり境内に入ると本堂はこんな感じ。当日は戸板や障子が外され堂内と、六道絵が一望できるようになっている


 この恵心僧都さんという方が非常にすごいお方で、私たちが幼い頃、「悪いことしたら地獄に落ちるで」と、よくお母さんに言われたこの「地獄に落ちる」や、お願い事があったら「仏さまにお願いする」という観念を、数ある比叡山の教えの中から『往生要集』(おうじょうようしゅう)という著書で著し、世の中に広めた偉いお方なのです。
 ちなみに、恵心僧都がこの聖衆来迎寺を訪れた時、紫の雲が立ち込め、二十五の菩薩が現れて歓迎したことから、山号を「紫雲山」と定めたとのことらしいです。

 このお寺、比叡山の末寺ということなのだが、天台寺院でありながら織田信長の焼き討ちを逃れた唯一の寺院なのです。
 お寺の伝説では、織田信長に寵愛された、森蘭丸(もりらんまる)のお父さん森可成(もりよしなり)が付近での合戦で亡くなられた時、このお寺の住職が厚く弔ってくれて、境内に墓地を作ってくれたからだとのことです。

 しかし私が比叡山に登り、仕事柄色々な文献を閲覧できるようになって思うことは、信長は延暦寺に対し、様々な懐柔策を取っていたのにもかかわらず、延暦寺はそれに従わず、戦をやる気で対応していたのだろうという事です。そうでないと、つじつまが合わないことがボチボチと出てきてます。
 このお寺にも、信長軍が攻め込む前にいくつかの重要な宝物が延暦寺から持ち込まれたそうです。記録では、信長は突然延暦寺に攻め込んだことになっているのですが…(^_^;)

 
 その持ち込まれた宝物を始め、お寺に伝わる国宝の数々を年に一度だけ蔵から出して干し、一般の人々にも公開するのが、この「虫干し」で、お寺の方にお聞きしても起源はわからないほど古いらしいそうです。

 本堂に掲げられるお軸は、絹本著色六道絵(きぬほんちょしょくろくどうえ)と云われ、鎌倉時代に描かれた15幅からなる巻物で、恵心僧都の著した『往生要集』(おうじょうようしゅう)に説く六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天)のありさまを絵画化したものだそうです。
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 本物は国宝指定のため、各代表的な国立博物館に展示されているので、本堂には写し絵(レプリカ)が飾られています。しかし、この「写し」も約200年前のもので、長浜の絵師が7年間をかけて模写したそうです。したがってこの「写し」自体にも非常に歴史的な価値があるそうです。
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堂内には拝観者で賑わう
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 本堂の「写し」のみならず、500円の拝観料を支払うと、本堂の内陣と重要文化財である客殿を拝観できました。
本堂内陣に並べられている重要文化財の仏像や、恵心僧都お手彫りの品々に目を奪われながら客殿に入ると、あまりにもの圧巻に度肝を抜かれます。
 建物自体が文化財の上、先ほどの六道絵の現物(国宝)が今日の「虫干し」のため飾ってあり、襖絵には狩野探幽の水墨画が描かれ、おそらく縄文杉で作られた板戸には、今にも動き出しそうな鳥の絵が施されていました。

 防犯上余り細かい品目と写真は遠慮させていただきますが、とにかく国宝や重要文化財がすぐ目の前、手が届く所に陳列されています。

 私は今まで、TVの『お宝鑑定団』などで、鑑定士が「本物は迫力が違う」とか言っているのを見ていて「ほんまかいなぁ」などとタカをくくっていましたが、やっぱり本物は迫力が違うと思いましたわ。(*^_^*)
 本当にこのお寺は、境内内自体が博物館です。しかも息がかかるほど目の前の距離で宝物がゴロゴロあります。

延暦寺も焼き討ちが無ければ…、今頃…と、あらためて残念に思いました。

 しかし残念ながらこの「虫干し」は、年に一回しか行われないため、次回は来年の今日になります。しかし来年も絶対行こうと心に決めました。
 


 

関西NO1花火大会に行ってみた~京都府八木の花火大会~

 夏休みもはや最終日を迎え、小学生当時の日曜日の夜半に、『西遊記』のエンディング『ガンダーラ』を聞いた時のような、何とも言えぬ物悲しさというか憂鬱を感じていると、以前からママ友さんに声をかけて貰っていた「八木の花火大会」に行ってみようということに。

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花火大会のクライマックスの様子 目の前で打ち上がる花火に一同大興奮



 聞く所によれば、ママ友さんの実家が八木町で代々続く地主さんで、「駐車場の手配と観覧場所を確保してあるから、一度見に来ませんか」とのこと。
 最近とかく人ごみが苦手になってきた上に、前日まで丹後の海でじっくりローストされていたので、結構しんどかったのですが、京北町から裏道で行って、渋滞なしで車も止められるうえ、人ごみにまみれずに花火が観覧でき、しかも撮影までできるのならと、行ってみることにしました。


 現地に着くと人、ひと、ヒト、Hitoでいっぱいです。八木町って正直丹波や丹後に通り過ぎる街のイメージがありますが(縦貫道が出来てからは通ることもないですよね)桂川の源流である大堰川を中心とした細長い街にこんなに人が集まるものかと思います。この日だけで10万人もの人が集まるらしいですよ。

 
 そもそもどうして八木町で花火大会が行われていたの? 花火大会以外にまず名前が出ることのない地域だけに不思議に思った。

 何と、その起源は終戦直後の昭和22年まで遡ることに。

 きっかけは、大東亜戦争の敗戦によって心のそこまで疲弊しきってしまった丹波の人々を花火を上げて励ますと共に、戦争によってお亡くなりになられた英霊たちの魂をお慰めするために灯篭を流したのが始まりだそうです。
 どうりで、開演前には色とりどりの灯篭が流されていたわけですね。
 その後も、60年以上の長きにわたり継続を続け、地元の頑張りが功を奏してか、昨年には何と『ウォーカープラス』の「関西で行ってみたい花火大会」で、常勝の琵琶湖と淀川をやぶり堂々1位の栄冠に輝いたそうです。
 たしかに、あちらこちらに地域一丸となっている姿勢が感じられます。ママ友さんのご実家も、大会に協賛されていました。

 現地では、8時からの開演にむけて、15分ほど前からオープニングセレモニーが始まるのですが、田舎の名士という種族はどこもどうしてこんなに話が長い(>_<)

 時間はとっくに8時を越え、観客からのヤジもちらほら。
10分ほど予定をオーバーし、ようやく花火が打ち上げられた。
花火
最初のうちは打ち上げは1ヶ所から
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漆黒の闇に咲く大輪
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打ち上げは3ヶ所に増え、観客は大興奮
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興奮のるつぼのなか、大会はクライマックスを迎えた
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 1時間ほどかけて打ち上げられた花火は約5000発だそうで、規模的には横綱の琵琶湖・淀川に到底及ばないものの、何より花火の打ち上げ場所の距離の近さを感じましたね。澄んだ空気と相まって、他の花火大会とは爆発力というか、迫力の違いを桁外れに実感することが出来る花火大会やと思いますね。一見の価値はありですよ。
 関西No1の実力を思う存分堪能し、夏休みの最終日を楽しんできました。


 が…しかし、花火が終わった後はやはり田舎。(^_^;)
車で来た場合、京都・大坂方面に帰る方法は、国道9号線をひたすら南下するか、縦貫道に乗るか、地元の人だけが知っている数本の抜け道を行くしか手立てがありません。何も知らずに国道9号線で帰ると、京都市内に着くのに2~3時間はかかってしまいます。

 ですので、来年この迫力を味わいたい方は、次の日は必ず仕事をお休みにしておくべきです。まぁ当日は、お盆休み中のかたが多いと思いますので、それほど心配はしませんが。

 ないしは、私が帰ったように、国道477号線で神吉まで山を上り、神吉から細い府道363号を京北町細野経由で周山街道まで出てしまう方法で帰ると、1時間足らずで市内に帰り着くことはできます。道は結構せまいですが、この時間に対向車はほぼ来ませんし、前に地元の人が何台か走ってくれているので、案外安心して走れますよ。
 以上、来年用のお得な情報でした。

炎天下の写真撮影~滋賀院門跡のパンフ写真撮影に行ってきた~

 本日は、今年一番暑いといわれる熱気さえ帯びた気温の中、以前から依頼されていた比叡山麓坂本にある「滋賀院門跡」のパンフレット用写真の撮影に行って来ました。


 「滋賀院門跡」(しがいんもんぜき)とは、坂本に点在する延暦寺の里坊の総本坊で、1615年(元和元年)延暦寺中興の祖であり、徳川家康に仕え「黒衣の宰相」とも称された慈眼大師天海大僧正(じげんだいしてんかいだいそうじょう)が、後陽成天皇から京都にあった法勝寺を下賜されてこの地に建立した寺だそうです。
 
 「滋賀院」の名は1655年(明暦元年)後水尾天皇から下賜されたものであり、明治時代になるまでは、代々天台座主が住まわれ、「滋賀院御殿」と呼ばれていました。
 1878年(明治11年)火災により焼失し、現在は、比叡山無動寺谷にあった法曼院の建物3棟が移されており、比叡山無動寺谷第二の長臈である十妙院(じゅうみょういん)住職の井深觀譲大僧正(いぶかかんじょうだいそうじょう)が門主を務められている。
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滋賀院門跡勅使門  壁に刻まれた五本筋は、皇族が住む御所の証である。

 私は、別にプロのカメラマンでは無いのですが、昨今の映像機器の技術の革新的な向上により、撮影技術が少々劣っていても、誰でも「そこそこの写真」が撮れてしまうんですね。この間、ペットショップのイベントか何かで、某有名カメラスタジオが、ペットと飼い主の写真を撮っていましたが、撮影をしていたのがほんまにシャッターを押すだけのおねいちゃんだったので、結構ドン引きしましたけどね(^_^;) 機材はプロ用やっただけに…


 最近では、各部所で経費削減を余儀なくされてしまっているので、高額の「ギャラ」を払ってプロを雇うくらいなら「そこそこの写真」を撮れる「サラリー」の素人に白羽の矢が当たる訳です。
 おかげ様で、最近電車なんかに乗っていると、観光ポスターなどで私が撮った写真を度々見るようになってきたので、車内で一人「ムフムフ」しております(^-^)
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勅使や高貴なお客様を迎える表玄関
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一般の参拝者用の玄関です。拝観料は大人450円になります。駐車場は併設してあります。

 パンフ用の内部写真はさすがに使えないので、それ以外の写真で滋賀院の宣伝をしておきます。
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 滋賀院門跡自慢の作庭の名手小堀遠州の手による池泉庭園(国指定名勝)。当日は、暑すぎてさすがに癒されることはなかったですが、それでも結構な数の人が拝観にこられていましたね。
 秋を迎える頃、滝から落ちる水の音に時間を忘れ、いつまでも縁側に座って心身ともに癒されたいものです。

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 数々の展示品を鑑賞した後は、滋賀院を出て、裏手にある慈眼堂へ。
ここは、滋賀院を開基された天海大僧正の墓所です。天海大僧正は延暦寺の僧侶の中で、朝廷から「大師号」を謚られた六名のうちの一人で、織田信長によってすべてが灰燼に帰した延暦寺を再興した中興の祖として知られます。
 伝説的で神秘的な生涯のためか、実は「明智光秀」だったと云われることもありますよね。

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 その奥には、歴代の天台座主が眠られている「座主墓」(ざすばか)がひっそりと並んでいます。
日本仏教の頂点に立たれた天台座主の墓所としては、いささかみすぼらしい感じもしますが、そこが今も昔も延暦寺の誇り。座主以外の名もない修行僧などは、お墓も無いですから。「修行に生き、生涯修行を貫き、死後はその存在すら残さない」。まさしく、お釈迦様が説かれた教えの実践がこの墓所に顕れていますよね。


 今日は、生憎の気温のためか撮影がなかなか苦しかったが、ここ滋賀院は、秋になったら「もう一度来てみたいなぁ」と思う風情で満ち溢れていましたよ。京都とはまた一味違った、元々門主になられた宮様がお住まいになられた御所であったということで、あちらこちらに格式の高さが伺えます。
 なんたって春、秋の観光シーズンでも人が余りいませんからね(^_^;) しかし、観光シーズンに京都観光に行って癒されようなんて思うのがそもそもの間違いですよ。とにかくどこに行っても観光客で溢れていますから。

 観光客が少ないのは、坂本では食べるところが少ないのも難点の一つでしょうね。
 坂本でお昼を食べるなら。情報誌に出ている観光客相手の有名そば家さんは避けましょうね。味も金額も、結局観光客相手ですから。
 その有名そば屋さんから京阪坂本駅に向かい坂を下ると、数軒先に「末広」というそば屋さんがあります。そこはオススメですよ。地元の人や住職がそちらで食べられていますので、タイミングが合えば比叡山のお坊さんと会えるかもしれないですよ。


 坂本に来て、生源寺から日吉大社に参ったあと、滋賀院をゆっくり回り、末広でそばを食べて一人千円!
心癒され、この上ない対費用効果の観光コースやと思いますよ。


ひと足お先の盂蘭盆会(うらぼんえ)~花園妙心寺の精霊迎え~

 妙心寺は、京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派大本山(りんざいしゅうみょうしんじはだいほんざん)の寺院で、山号を「正法山」(しょうほうざん)と称する禅宗最大の境内を誇る寺院。ご本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)を祀り、開基(創立者)は花園天皇と伝わる。

 日本にある臨済宗寺院約6,000か寺のうち、約3,500か寺を妙心寺派で占めると云われ、近世に再建された三門、仏殿、法堂(はっとう)などの中心伽藍の周囲には38の塔頭(寺院内にある僧侶が暮らす院や坊)が建ち並び、一大寺院群を形成している。平安京範囲内では当時、広隆寺などを含む北西の12町を占め、また自然も多いため、京都市民からは古来より「西の御所」と呼ばれ親しまれている。

 この妙心寺では、通常8月13日、14日から16日まで執り行われる「盂蘭盆会」、いわゆるお盆の法要を、一般的な寺院より一足早い8月9日から16日までの期間、「お精霊会」(おしょうらいえ)と称し執り行い、各家先祖供養や新亡供養を厳修している。
 お精霊会では特に、9日、10日に、精霊をお迎えする「お精霊迎え」、また16日の正午には「お精霊送り」と呼ばれる法要が修され、境内にはたくさんの参拝者で賑わう。

 今回はひと足はやいお盆を感じようと、この「お精霊迎え」に行ってみた。

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妙心寺お精霊会の遠影。写真手前から本堂の法堂。真ん中が仏殿、右側にかすかに山門が見える。各堂宇には、ご先祖の供養のため献灯された提灯が約1000個も灯される。

 本来は、JR花園駅より徒歩で南大門へと参拝道を向かうのが定番なのですが、今日は京都観光の雰囲気を出すため、京福電鉄(嵐電)に乗り込み、裏側に当たる北門から参拝することにした。
 嵐電は、京都市の四条大宮から出ており、帷子の辻(かたびらのつじ)で北野白梅行きへ乗り換えます。嵐山からなら乗り換えなしで行けますよ。
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 嵐電は雰囲気がありますよ。運賃は全線で大人200円。JRのパスカード「ICOCA」も使えます。
妙心寺駅で下車後、徒歩約2、3分で妙心寺北門へと到着します。
 今回は北門から入りましたが、わかりやすく一般的な参拝方法として南大門から話を進めます。
南大門から境内に入ると、法堂までの参拝道の両側に夜店が立ち、賑わいを見せていました。
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店舗の数は20店舗くらいでそんなに数が多くないですが、禅寺の雰囲気が崩れず、ガチャガチャしていなかったので、おらが村の夏祭り的な雰囲気で、何か忘れかけたものを思い出します。
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夏祭り名物のヤンキーも少なかったなぁ。ホッとできる雰囲気です。かき氷をねだってグズる子どもに、お母さんが「お参りが終わってから!」って、定番の怒鳴り声。夏ですなぁ(^-^)
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夜店がひしめく参道と、ライトアップされ浮かび上がる山門を撮りました

 本堂にはたくさんの人々が詰めかけ、ご先祖さまに回向を手向けており、塔頭の和尚さんによる読経と、御詠歌が堂内に響き渡っていた。
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法堂前の受付の様子
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夕闇に浮かび上がる法堂と献灯された提灯

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献灯された提灯にさぞかし精霊たちもお喜びになられるでしょう。

 ご先祖様を敬い、ご供養する。
いつまでも続けて欲しい日本の風習ですよね。
 
 なお、この「お精霊迎え」は、明日の10日も午後6時から10時まで営まれておりますので、興味のある方、または、京都に観光に来られた方は、寄り道的に一度行って見てはいかがでしょうか。

京の真夏の風物詩、五条坂の陶器市に行ってみた

本日は午後より、比叡山横川地域(ひえいざんよかわちいき)の元三大師堂(がんざんだいしどう)に顔を出し、大師堂當執事(とうしつじ)さんから、東京より来られた信者さんを一人紹介していただいた。
 広大な比叡山の中で、特に横川の空気が大好きな3人が集まると、話は尽きない。紹介いただいた方は、私は全く関わりのない世界の方だが、その世界では、めちゃくちゃ有名人らしい。ぱっと見には、普通の可愛い女性に見えたのですが…(^_^;)
 横川では、時がゆっくりと流れるので、夕方がすこぶる長く感じられ、執事さんからお聞ききするお話に、十分心が癒された。
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比叡山横川の元三大師堂 おみくじ発祥の地として有名である



 さて、家に帰ってFacebookを開くと、友達から今日は五条坂の「陶器祭り」ということを知らされる。
この4年ほど毎年通っては、若手作家を冷やかしているので、今年も出来栄えを見に行こう。

 五条坂の「陶器市」とは、真夏の京都を代表する風物詩で、鴨川から清水寺へと続く五条通りの歩道に、毎年400件程の陶器を扱う露天が並び、3日間の開催で約40万人の人手で賑わうと云われる。
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五条通り(国道一号線)を挟み、両歩道に店が立ち並ぶ
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このような陶器を扱う露天が、所狭しと並ぶ

 
 起源を遡ると、大正9年に「六道珍皇寺」にお精霊さんを迎えに行く人々や、大谷本廟(西大谷)へ、お盆の墓参りに行く人々が五条坂を賑わせていた当時、五条坂に店を構える陶器屋が、登り窯で出た大下(おおげ)、いわゆる二級品を扱う陶器市として売り出したのが始まりで、最近では、清水焼きや京焼のほかにも、各地から若手の作家が集い、自身の作品の見本市としての役割も果たしている。
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手ひねりによる豪快な抹茶茶碗から
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新進気鋭のオリジナルな作品が立ち並ぶので、飽きることがありません。
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 去年あたりから、キャラクターっぽいものを中心に扱う店も増えてきています。 時節柄かこういったお店の方にお客さんが集まる傾向があり、この店などは、売れる物をたくさん取り扱いたいせいか、去年は半分が、キャラクター物だったのですが、今年はほとんどがこんな感じでした。

 去年は物珍しかったのでひとつ買いましたが、今年はよく売れてるせいか、いちびって値を上げてきたので買いませんでした。( ̄^ ̄)
 まぁでも、人より一年はやく、この作家さんの魅力に気がついたので良しとしときましょう。
 相場的には、去年に比べて、全体的に安かったような気がしましたね。
4日間の開催予定なので、興味のある方は行ってみてはいかがでしょうか? 今週の土曜日までです。


 所要時間は、400店あまりをじっくりと見ながら、五条通りを川端から、東山通りまでぐるっと往復すると約2時間ほどです。 京阪の五条駅を地上に出るとすぐ目の前でやってます。
 車で行っても、南北とも一筋入るとコインパーキングがあり、最大で千円、探せば最大800円の所もありますので、陶器を安く買えるとすると、割安かもしれないですね。


心の癒しを求めて~延暦寺に行ってみよう無動寺編~

ブログ作りのコツを検索していた所、「訪問者が何を求めてブログを閲覧するのかを明確にすべき!」と、書いてあったので、少々こ細工をして、しれ~っとブログの主題名を少し変更してみました。
 ですので今回は、「心の癒し」をテーマに、私が比叡山に御縁をいただいてから、いろいろと経験し学んだ、「お寺とのご縁の結び方」の実践をレポートしたいと思います。


 現代の社会情勢では、人と人との結びつきが希薄になりつつあるとよく云われています。特にお寺との結びつきなんていうのは顕著で、お坊さんなんて、お葬式と法事、あとは町内の地蔵盆の法要くらいにしか目にすることもなく、現代人にとってお寺の存在意義なんてほとんど見いだせられないのが現状でしょう。

 あの大きな門構えの寺院の中はどうなっているのかもわからないですし、宗教法に人は税金がかからない特権を利用した、「坊主丸儲け」ってゆうイメージがホントに強いですよね。

 このブログを見ていただいている方々で「私(我が家)は、近所の住職と懇意にしていて、頻繁に菩提寺に出入りしている」なんて方は皆無だと思います。
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比叡山無動寺(ひえいざんむどうじ)から望む大津市街と琵琶湖の遠景

 私自身も、父母ともいわゆる「団塊の世代」のためか、「革新」派を気取って古来の伝統を軽視する傾向がありました。
 地域の伝統行事にもほぼ興味がなく、近所に菩提寺はあったのですが、門をくぐるどころか、住職も法事の時にしか見かけないようなありさまだったので、お寺を始め、全く宗教とは無縁の生活を送ってきました。
 ただ、日本史には異常なほどの興味を持っており、そのおかげと、奇跡のような勝縁で今の職業につけることができ、お寺とご縁、しかも日本仏教の母山といわれる延暦寺とのご縁をいただけることとなりました。


 やはり自然というのは本当に心の浄化作用があるものなのか、山上で1年も過ごすと、だいぶ安穏とした生活を送れるようになってきたのを実感し、お堂に何度も出入りしているうちに、お寺や住職さんとの距離が非常に近くなってきました。
 そうなってくると、「お寺って案外近い所にあるなぁ」と実感ができるようになってきますね。


 かと言って、このブログを見ていただいている方々全員がそんな「縁」をお持ちでないでしょうし、突然近所のお寺に行っていきなり本堂に上がり込んでも、今のこのご時世では、泥棒と間違われて警察に突き出されるのがオチですよね。 
 よしんば本堂に上がれても、お経のひとつも知らなかったら間も持ちませんし、ご本尊を拝む程度のお参りなら、初詣と旅行に行ったときくらいで十分ですから…


 そこで今回は、お寺とのご縁を結ぶ一番簡単で、かつ実践的な方法を教えてしまいます。

 このブログで何度も申し上げておりますが、私は比叡山延暦寺でご縁をいただいております。

 ただ、延暦寺と言いましてもその境内はとてつもなく広く、何より住職は総べて修行僧のため、一般的な菩提寺の住職のように、お葬式の取り仕切りや法事関係に顔を出すことはありません。(まぁそこが延暦寺の良い所だと私も思いますし、かの司馬遼太郎も著書の中で「釈迦の意志を受け継いでいる」と褒めています。)

 じゃあどうしろと…(-_-メ)
と思いますよね。

 何と延暦寺の中でも、無動寺谷の明王堂(みょうおうどう)と弁天堂(べんてんどう)。横川の元三大師堂(がんざんだいしどう)。この3つの寺院だけは、個人が直接出向いて信者さんになることができるんです。
 その中でも、今回は、無動寺谷の無動寺明王堂を紹介いたします。


 延暦寺の第3駐車場から、10分程度南に下って歩くとケーブルの比叡山山上駅に到着します。この駅舎のすぐ隣に石造りの鳥居があり、その前方には石塔に無動寺参道と掘られています。
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 ここが、今から向かう明王堂への入口。そこから、約20分ほどよく整備された山道を下っていくと、ほどなく明王堂に到着します。
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無動寺へと続く道 差し込む朝日と溢れるマイナスイオンだけで心がホッとします
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無動寺明王堂 写真は、昨年の一日万拝の時の写真。年に一度のご本尊の御開帳と、阿闍梨さんからお加持を受けようと、信者さんで溢れかえります。


 ここでは、毎日午前10時に輪番(りんばん)というお堂の責任者が護摩供養を修されています。
代々輪番は、比叡山を代表する荒行である千日回峰行を満行された北嶺大行満大阿闍梨(ほくれいだいぎょうまんだいあじゃり)が務められます。

 この護摩供養は、誰でも参加が自由なのです。参加料なんて野暮なものもありませんし、その上食事だって出してくれるんです。
 護摩供養は、約1時間にわたって厳修されます。参加者は堂内に置いてあるお経の本をお借りし、正座を保ち、護摩木を炎に焼べる阿闍梨さんと一体になりながら心を無にしてにお経を唱えます。

 この約1時間のお勤めがちょうどいいんです。足の痺れもギリギリ我慢できますし(別に足を崩してもいいんですよ)。何より集中できます。
 お勤めに参加するまでに、約20分ほど自然の中を散歩して明王堂にたどり着きますので、既に心がある程度ほぐされている上、お経を唱えることによって、お腹の中から嫌なものが全て出て行ってしまうようです。
 また、ほとんど毎日、何人かの信者さんがお勤めに参加されていますし、すべての方が思いを同じくされて随喜されていますので、大きな声でお経を唱えても全然恥ずかしくなんてないです。 「心癒されたい」という同じ思いの方と一緒にいるとそれだけで安心できますしね(^-^)
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明王堂の脇に建つ、無動寺の開祖で千日回峰行の始祖ある相応和尚の石像


 お勤めの最中にお堂のかたが、「お斎はどうされますか?」と聞きにこられるので、阿闍梨さんとお食事をして色々なお話を聞きたかったら「お願いします」と言えばいいんです。お金なんて要りません。
 お寺は相互扶助の精神で成り立っていますから、お金持ちがたくさんの志納(しのう)を収めます。だから自分の思いが本懐を遂げた時にあらためてお礼をすればいいんです。
 それでも、気を遣ってしまうとゆう人は、お護摩に願いを書いて納めましょう。一本500円くらいやったと思います。

 お勤めに参加することだけで、十分に心がすっきりしますが、阿闍梨さんと直接お会いしてお話を聞くのもいいですね。 阿闍梨さんは、ものすごくお話好きな方なので「何を話せばいいか」なんて考える間もなくしゃべって来られますよ。
 しかし、遊びや茶化す気持ちでは、絶対に行ってはいけませんよ。阿闍梨さんは、信者さんにとっては「生き仏様」です。信仰の対象の方なので、茶化したりすると大変なことになります。
 まぁこのブログを見ている方で、そんなアホな人はいないと思いますが…
 

 以上が、無動寺明王堂の流れですね。ホントに散歩がてらに気軽に、お勤めを経験することができますよ。
半日の時間と、少しだけの「行ってみよう」という気持ちがあれば、誰でも本格的なお勤めに気軽に参加できて、メチャメチャ癒されます。無動寺からの帰りの登り坂は、スッキリとして足の運びも軽やかになりますよ。(^ω^)

 人生何事もきっかけが大事です。
昔の人たちは当たり前のようにこうやってお寺に通っていました。だから何も特別な事をお勧めしている訳ではないです。昨今の偏重した教育によって忘れられてしまったものを取り戻そうとしているだけです。私もかつてそうでしたから…
 このブログで、少しでもお寺と一般の人々との距離が近くなってくれればと所望しています。
 
 

 

 
 

41歳を記念して~比叡山文化講座と千日回峰行一日体験②~

本日は、近江八幡市の伊崎寺で竿飛びの取材に行って来ました。本来なら、記憶や感動がまだ暖かいうちに報告したかったのですが…
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 一日回峰行体験の報告を先にやっちゃいます。スイマセン(๑≧౪≦)てへぺろ


 さて、文化講座も無事に終わり、事務関係の後片付けも終えたので、一路宿舎の延暦寺会館へ。

 延暦寺で、個人参加で公式に回峰行の体験を出来るのは、1年の間で「比叡山仏教文化講座」の回峰行体験のたった1度だけなので、かなり貴重な経験になると思います。

 私は回峰行中、こまごまとしたお手伝いをしたり、休憩場所や安全の確保をする役目を担うため、身内ということで、宿泊は、本日の先達を勤める本山交衆生(ほんざんきょうしゅうせい)という、俗世を離れて3年間比叡山に籠り修行する、修行僧たちが詰めた大部屋の隣で雑魚寝しました。

 交衆生は、俗世との関係を断つため、普段から山内の諸堂で生活をしています。
 
 本日は、一日開放の先達のために「延暦寺会館」の大部屋に泊まっていましたが、部屋にはTVやその他一般の情報が入るような物は一切置いてなく、徹底して管理されております。
 そんな中、少しだけ彼らとお話しする機会がありました。

 彼らはつい何日か前に、葛川夏安居(かつらがわげあんご・北嶺回峰行者が集まり大津市葛川に5日間参籠する1千年以上続く修行)から帰って来たところで、その「行」から帰ってきた事によって「百日回峰行」を満行したことになるので、その身に霊験あらたかなオーラを纏い、同じに空間にいるだけでご利益が得られるようでした。 

 しかも彼らは、本日8月1日から四種三昧という90日間お堂から出れない行に入ります。だからお話をしている時は、つかの間の休みを満喫しているようでしたね。 

 ちなみに夏安居中は、「5日間を通して2時間位寝れました」と、笑ってましたわ。まさに超人です(*_*)
比叡山には本物の行者がいます。目の前にいるんです。


 おしゃべりもそこそこに眠りに入り、午前1時の目覚ましで目が覚めました。

 午前2時の出発前に、スタッフと打ち合わせ。
 そうこうしていると、比叡山無動寺谷より本日の回峰行体験を先導して頂く大先達(だいせんだつ)である、北嶺千日回峰行を満行された無動寺明王堂輪番(むどうじみょうおうどうりんばん)光永圓道大行満大阿闍梨(みつながえんどうだいぎょうまんだいあじゃり)が延暦寺会館に到着されました。
 さすがに回峰行に挑まれていた「白浄衣」(びゃくじょうえ)に身を包まれた「大阿闍梨」さまは、威厳とオーラに満ちています。
 が、夏安居の時とは違い、かなりリラックスされた感じで笑顔がこぼれていました。

 1時30分くらいには参加者が続々と延暦寺会館玄関前にと集まってきたので、交衆生が点呼をとり、準備運動を始めます。
 41歳の身体を目一杯伸ばしこれからの巡礼に備えました。
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 行中なので、カメラのフラッシュが使えません。全体的に写真は暗いです。スイマセン


 午前2時阿闍梨さまが延暦寺会館から出てきました。
「夜の比叡山内」を歩くための諸注意を聞いたあと出発です。

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 延暦寺会館から坂道を5分も登ると、延暦寺の総本堂へと続く大坂に出ます。そこから根本中堂に下り、本堂正面で阿闍梨さんが大導師を勤められ、これからの安全を祈願し全員で『般若心経』を読誦します。

 皆さんどこで習ったのか知らないですが、打ち合わせもないのにうまく唱和しておりました。

 その後、大坂を引き返して、坂道を上り大講堂の周りをを1周。一般の方々が使われる参道とは違う、脇の行者道を伝い、戒壇院(かいだんいん)を経て、西塔地域へと向かいます。

 戒壇院を過ぎると、すぐに護心院跡(ごしんいんあと)です。ここは山内でも有名な自殺の名所で、比叡山で自殺する人はこの護心院跡を含め、東京ドーム500個分もある境内の中で、ほぼ2、3ヶ所に集中しているらしいです。不思議なことですね。
 よく「呼ばれる」といいますが、そういうことが本当にあるのかもしれないですね。

 護心院の方向をなるべく見ないように急いで通り過ぎると、次は弁慶水。ここでは、夜中に「天狗」が出ることで有名です。

 その後、奥比叡DWに架かる橋を渡り、山王院(さんのういん)から石段を下り浄土院(じょうどいん)を通過。
 「武蔵坊弁慶」が担いだと伝わる「にない堂」を経て、西塔の総本堂である釈迦堂(しゃかどう)に到着。法楽と阿闍梨さんの法話のあと、しばしのトイレ休憩を取ります。
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釈迦堂にて

 ここまでで所要時間約1時間。参加者には70歳代4名のグループがおられるがすこぶる元気。私より元気かも知れない。

 西塔を巡礼したあと、一行は狩篭(かりごめ)からドライブウェイを通り峰道(みねみち)へ、本来の回峰行の場合、ここは餓鬼坂(がきざか)という行者道を通るのだが、この体験ではそのルートは通りません。
 
 私も回峰行の取材に何度か立ち合せてもらったことがありますが、その時も私たちはこの餓鬼坂は通れません。理由はよくわかりませんが、この霊峰には夜間に一般人が立ち入ってはいけないところが数箇所あるのでは無いでしょうか。だから黙って従っています。

 その後、峰道の行者道を伝い玉体杉(ぎゃくたいすぎ)へ。ここで「王城鎮護」と「玉体安穏」を祈願し横川地域へと向かう。
 途中で横川への入り口となる不二門跡(ふじもんあと)を通過し、午前3時半横川へと入る。午前4時に横川中道参拝後、比叡山で唯一実在された「お坊さん」「元三大師良源さん」をご本尊とした元三大師堂へと向います。


 元三大師堂では、午前4時にすでにお勤めが始まっていました。

 「白浄衣」で山内を飛ぶように走り抜ける無動寺の回峰行者を「山の白鷺」と呼ぶのに対し、ここ横川元三大師堂は、日々のお勤めの量が半端じゃなく、早朝からほぼ一日中読経が聞こえているので「谷間の鈴虫」と例えられています。

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元三大師堂では、毎日午前3時からお勤めをされています。

 大師堂前には、お堂の責任者である「當執事」さんのはからいで、お茶の用意がしてありました。ありがたく頂き、トイレ休憩をとれば、午前4時半。これから1時間半をかけて長い下り坂を伝い、山王総本宮「日吉大社」を経て坂本にある延暦寺総本坊「滋賀院本坊」へと向かいます。

 日吉大社へと向かう1時間の間にすっかり夜が明けました。1時間以上も坂道を下りっぱなしなので、そろそろ膝がガクガク笑い出します。
 回峰行の一番の難点は、先に長い下りがあり、その後一気に急激な上り坂を登ること。この普段の登山とは全く逆の行程に体がうまく順応できず、実際の距離より体に負担がかかります。

 震えだした膝に神経を集中させて歩いてうちに、一行は山麓の日吉大社へ到着。
 西本宮を参詣するころには、足が重たく感じて震えが止まらず、滋賀院本坊で食事をいただいたのですが、正直これからあの急激な無動寺坂を登れるのかかなり不安になってきました。

 しかし、あの栃木からこられた70歳代の皆さんの元気なこと。それとなく「大丈夫ですか?」と聞いてみたら、みんなやる気満々です。お話していると、こちらもやる気が湧いてきました。
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食事のあと点呼を終えて、さぁ最大の難所無動寺坂に挑む


 滋賀院本坊から、朝日に照らされた比叡山を仰ぐと、かなり切り立って見える。
「ここをのぼるのか(^_^;)」
 
 唯一の救いは、例年に比べ気温がかなり涼しいところ。
 途中、無動寺へと続く坂道の入口「庄墓」(しょうばか)という場所で、阿闍梨さまから最後の注意を受ける。
「ここからの上りは、あくまで修行です。ゆっくりとしたペースで登ってもいいですが、決して休まないこと。休めば心が折れます」とのこと。
 「そうだこれは修行なんだ」と自分に言い聞かし、麻痺しかけた膝を叩き、自分自信を鼓舞させる。
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庄墓から無動寺坂に向かう

 無動寺坂に入ると、とにかく蒸し暑い。山全体にビニールが張られているような錯覚すら覚えます。今日はまだ、日が差し込まないぶんマシだが、この湿気の中、毎日坂道を登る回峰行者の精神力にはただひたすら頭が下がります。
 途中交衆生に「ようこんなこと百日も廻れたなぁ」と話すと、「今日は涼しいし、いい運動になりますよ」とさらりと言われた。ホンマに超人やわ!(>_<)

 そんなこんなで、息を切らし重い足を引きずり汗だくになりながら、午前8時半に無動寺明王堂を通過。この頃には写真を撮ることは完全に忘れてしまっています。ここからは自分自身との勝負。
 「後もう少し、約20分の道のり」、こうなると、最後の踏ん張りで身体はガンガン動いてくる。

 午後9時ついに延暦寺会館へと帰り着く。

 やっと約7時間をかけた30キロの巡礼の道のりが無事に幕を閉じた。


 何度かこの「回峰行巡礼」の行程を経験していますが、年にただ一度だけ一般の方が参加できる回峰行体験だけに、皆さん全国からそれぞれの思いを強く胸に抱き比叡山に集まって来られますので、遂行に対する気持ちが全然違います。
 いつにも増して全員が一体になれた感がすごいです。

 今回もそのような気持ちを持つ方々と共に「霊峰」比叡山の各所を巡礼し、皆で無事に遂行できたことに感無量でした。

 このレポートを読んだ方々も、来年は是非この「回峰行体験」にチャレンジしていただき、霊験あらたかな比叡を巡礼しながら、自然と一体となることで、自身の人生を振り返ってみていただきたいと思います。

 そして一緒に遂行の達成感を味わいましょう。


 



プロフィール

やま法師

Author:やま法師
 生まれはおろか、戸籍を尋ねてみても、江戸時代の文久年間までは、とりあえず遡ることが確認できた京都(宇治郡・醍醐)人。当時の身分制度から考えるとそれ以前よりご先祖さまが、此の地に定住していたことは間違いない。
 
 生来よりのきかん坊で、自由奔放な青春を謳歌し、30代後半まで犯罪スレスレの生業で生計を立てるも、ある日奇瑞の仏縁を頂くことで、これまでの諸行を省みて仏に帰依する。

 得度授戒をしていない凡夫、いわゆる一般人のなかでは、日本仏教の母山である比叡山延暦寺に一番近い立場の人間となれたことへ報恩感謝し、その証として、ブログを通じてリアルな比叡山の情報を発信して行きたい。

 また、職権を利用することで、昨今よく目にする京都の観光情報のみを紹介するブログとは一線を画した、歴史的かつ、宗教的な側面を踏まえ、本物の「心の癒し」を目的とした京都並びに周辺の観光情報を紹介して行きたい。

 その一方、趣味のロードバイクを駆使することで、大好物のラーメンを始めとしたB級グルメ等を細やかに発信し、全国より京都へ訪れてくれた方々への一助となりたい。

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