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41歳を記念して~比叡山文化講座と千日回峰行一日体験①~

去る7月27日を以て、41歳を迎えることができました。
友達の皆様から、Facebookを始め、たくさんのおめでとうMAILを頂きました。ありがとうございました。

 自分的には、10代の頃と別段何ら変わった気はしないのですが…
明らかに「気」は長くなりましたね~(^-^) 先日も職場ですったもんだがありましたが…一般人の枠からはみ出さずに事を終えることができました。やっぱり子供と向き合って生きることで、人を慈しむ事が出来るようになったのかなぁと思います。
 子育てを通じて、あらためて自分自信も躾けられてます。「子供は親の鑑」とはよく言ったものです。

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むすめ子がくれたお誕生日のケーキ


 さて、比叡山では、毎年7月の最終土曜日に「比叡山仏教文化講座」という、各界の著名人や専門家を比叡山に招き、お話を聴くといった公開講座が、毎年開催されております。また、翌日曜日の深夜には、オプションで日本を代表する比叡の荒行「千日回峰行」の一日体験も行われ、数多の傑僧が踏破した比叡山常不軽菩薩巡礼(じょうふぎょうぼさつじゅんれい)の峰道を一度体験しようと、毎年全国より多くの篤信者や健脚自慢の方々が参加されます。

 本年は7月の最終土曜日が27日、偶然にも私の誕生日に講座が開催されるということで、これ勝縁と、この比叡山仏教文化講座と、一日回峰体験に参加してきました。

 比叡山上にある延暦寺会館で開催された文化講座では、
第一講を、天台宗宗議会議長である栢木寛照師が、
第二講を、京都大原の自然の中で暮らす番組を、長期にわたり放映されていました、ハーブ研究家のベニシア・スタンリー=スミスさんが、
第三講では、京都大学大学院で、「味覚」を科学している大学教授の伏木享さんが、
各専門分野の講座を開催されました。
 どの講座も非常に興味深いもので、ためになるお話が聞けました。
 だいたい毎年講師の先生は、お坊さん、有名人(芸能人)、学者さんのパターンだそうです。
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講座の様子

 栢木先生は、「三枝の爆笑アイラブクリニック」や「2時のワイドショー」などに出演されていたので、ご存知の方も多いと思います。
 衆議院選にも自民党から立候補されたことがあるみたいで、さすがというか弁が立ちます。「今の我々の繁栄は、大東亜戦争において、我々のご先祖が命をかけ、自ら犠牲となりもたらされた上に成り立っている。その犠牲となられた尊い方々の心と、戦争の悲惨さを次世代に伝えなければならない」と、三宝筵という団体を組織し、TVや講演等で得たお金をすべてつぎ込んで、毎年子供達を北マリアナに連れて行き、実際に残る旧日本軍の残骸を見せたり、現地の人々との交流を盛んに繰り返しているそうだ。
 TVで拝見したり、先日取材させていただいた時には、おちゃらけた印象があったので、講演を聴いて頭が下がる思いがした。先生は、まさに「漢」だった。

 ベニシアさんは、イングランドの貴族階級の出身だそうで、自宅の敷地面積は京都市とほぼ同じと聴いて目玉が飛び出た。世の中にはやはりとんでもない金持ちが存在する。
 講演内容は、途中で寝てしまったので余り覚えていない。(^-^; スイマセン

 最後は、京都大学大学院で農学研究をされている伏木享さん。
味覚を科学されているので、食いしん坊の私には逃せない講演だ。
 先生が言うには、人間は、油と塩分に依存と中毒をおこしやすく、日本人の国民病と云われる「塩分」を抑えると、おのずと西洋人の好む「油」を求めるようになり、どちらにしても現代社会食生活様式では、食事で健康になるのは難しいそうだ。
 油を欲しがる中毒の実験で、マウスにスイッチを押させ、最初は一度押すと油が出てくる。順に油が出てくるスイッチの回数を1回から2回、4回、8回と倍にして行き、マウスは何度までスイッチを押すかのかという実験を見ていると、油を欲しがり必死でスイッチを押すマウスの姿が、ラーメンを食べるためにチャリンコを漕ぎまくる私の姿に思いっきりかぶってしまった。(>_<)

 そんなこんなで半日十分に楽しめて、為になった講座でした。
後は、琵琶湖を一望に見下ろす展望風呂に入って、精進料理を食べ、回峰行出峰の時間を待つだけ。
回峰行体験の詳細は、次回報告します。
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ラーメン、イケメン、僕つけ麺!~つけ麺って美味しい?~

 シリーズ6回目にして、早くもラーメンの話になってしまいますが…
ラーメンが大好きなんです。

 特殊な仕事柄、取材と称し、全国津々浦々に出張させて頂いています。
各地方の名店巡りもしてみたいのですが、なにぶん薄給のサラリーマンのため、B級グルメ、特にラーメンをアプリで検索して、時間の許す限り各都市の有名店を、時には2~3件ハシゴしたりして楽しんでいます。

 そんな状況の中、最近つとに思うのですが、「つけ麺」って美味しいですか?
イヤ!美味しいんです。
 ですが全国どこのお店に行っても、同じようにイケメンのお兄さんがいて、タオルをハチマキみたいに巻いて、何か、夢というか、こだわりみたいなのがあって、それでいてどこのお店もほぼ同じ味なんです。何かイケメンのお兄さんもおんなじ人、兄弟か何かに見えます。

 今日も散髪のあと、山科某所の某つけ麺をメインに頑張っているお店に行ってきました。
イケメンお兄さんが、独りで頑張っていました。
 味も美味しいです。大げさではなく東京の某有名つけ麺店と引けをとらないくらいです。濃厚トンコツスープに魚介系の旨みをダブルで効かせた、つけ麺の教科書通りの味です。麺も極太でシコシコ!失敗はしません。
 ただ、お値段も…東京と変わらないです(^-^;


大盛り麺300gで900円でした。

 つけ麺は、普通のラーメンに比べて量を食べてしまうんですね。40.99歳のオッサンには、カロリー分の満足感が得られにくいんです。おかげで、別でご飯を頼んでしまう始末。
 遅れてきた満腹感が得られた頃には、合計1,150円のお支払い。
 う~ん! つけ麺に1000円かぁ~(>_<) 競合する食事の選択肢は結構あるかもね。
 お兄さんまだ若いんやから、貧乏は苦になる年代ではないやろうし。夢を食べて生活し、まずは儲けを少なく抑えた値段設定をしてみたらどうやろう…もうちょっと流行るかもしれんなぁ…
 でも、お兄さんが一生懸命やったんで、もう一度行ってみて、普通のラーメンを食べてみてからこれからの判断をしたいと思います。

 山科界隈で、失敗のないつけ麺を、お腹いっぱい食べたくて(特盛400g1000円というのもありますよ。)、ラーメンに1000円以上出せるという人には、かなりオススメです。


麺は極太でシコシコです

ライバル会社の視察に行ってみた~東寺の骨董市~

 昨日はお休みいただいたのですが、少々溜まり過ぎの内臓脂肪とストレス解消のため、炎天下にも関わらすチャリンコで京都市内をプラプラ。
 ちょうど本日は21日。たしか東寺は縁日で市が建っていたはずと思い、休憩を兼ねて京都駅方面に向かった。



 東寺の境内に併設される京都随一の進学校「洛南高校」を横目に、北門から東寺へと入る。
東寺の縁日は、「骨董市」と称されるほど多くの骨董の露店が軒を連ねており、日本国内はおろか、海外での評判が高いせいか、外国人ツーリストの多さにはびっくりました。
 まぁこれほどの骨董品の多さなら、おそらく何品かはお宝が眠っているかもしれないですね。

 東寺は、正式には「教王護国寺」という名の寺院で、我が宗祖伝教大師様と双璧をなす日本仏教の巨人、弘法大師空海(774~835年)さんが嵯峨天皇より寄託されたもの。現在は京都の中心が、当時の朱雀大路(今の千本通り)からは、かなり東のほうに移ってしまったので、東寺なのに京都の西の方に建っています。
 この東寺は、よく2時間ドラマで等で、刑事さんが東京から京都に新幹線で到着した時などに使われるシーンに、五重塔が映り込むので、ご存知の方も多いでしょうね。
 ちなみに、この五重塔のてっぺん部分が、京都の人々の間では、一条通りと同じ高さになると云われています。

この写真では、高さがわかりづらくてすいません。
 
 木陰で休憩をとり、体力も回復したので、骨董市を物色。
と、その前に、「やま」の人間として、ライバル会社の視察をしておかなければ。


 東寺では、弘法大師さんが入定された3月21日を「縁日」とし、毎月21日に報恩感謝とその遺徳を偲び、弘法大師御影供を執り行っているが、さすがに絶大なる民間の信仰を得るカリスマだけに、参拝者は数知れず、いつしか市が建つほどの賑わいを見せるようになった。

出仕に向かう僧侶の方でしょう


お薬師さんも御開帳していましたので、お参りしてきました。

南大門
 南大門まで自転車を押して約1時間位かな。途中、数え切れない骨董品を扱うお店のほか、陶器や反物、京漬物のお店などもあり、かなり楽しめましたよ。

 しかしこの東寺は、京都の街中という立地条件と、弘法大師さんという伝説のカリスマの人気に支えられ、参拝者と観光客が後を断ちません。

 伝教大師さまは、山学山修を理念とし、人々との交流を断ち切り、ひたすら国宝となる人材育成に努めました。空海さんに比べて地味なイメージが付きまといますが、その理想はやがて身を結び、現代の日本における仏教宗派のほとんどは、比叡山から枝分かれしていったものです。
 その全く対局をなすのが、弘法大師さんで、地質学から建築技術までを駆使し、直接人々を救うことに情熱を燃やされました。しかし、その偉大すぎるカリスマ性と神通力のためか、その意思を引き継ぎ、実践できる人材が育たなかったと云われています。

 今も我が「おやま」は修行の地として、麓の市街とは隔絶した山岳世界にあり、徒歩以外は日本一高額なドライブウェイ、もしくはケーブルカーでないと参拝することができません。しかも僧侶全員が修行僧のため、東寺の境内にように、焼き鳥や、魚を売るような露店を延暦寺境内で開いたなら、すぐに僧侶が飛んできて、八つ裂きにされる事でしょう。
 「おやま」はよく「寒・湿・論・貧」という4つの文字で表現されますが、今だにそれを守り続けております。修行の地ですから、賑やか過ぎるのも何ですが、もう少しくらいはビジネスモデルを考え直して、賑やかにしてもいいのではないかなと思いました。
 
 ちなみに、東寺へは、京都駅前のイオンに車が停められますよ。歩いて5分くらいで行けますし、料金は30分で250円当日最大料金が1500円だそうですが、イオンで2000円以上の買い物をすると1時間無料になるそうです。
 近所の駐車場の相場は、1時間600円だそうなので、骨董市に行ってイオンで、軽く食事か買い物をすれば、駐車料金は浮くかもしれませんね。


日本最古の「かわいい♡」は比叡山にあり

 前回は、暑くて熱い漢(おとこ)たちの話に終始したので、今回は涼しげに、女性方必見、日本最古の「かわいい♡」という概念が証明できる証拠の品は、比叡山で見つかったという話をしたいと思います。

 宮川禎一という方の論文で発表されたのですが、現在京都国立博物館には、延暦寺から寄贈された「銅製金銀鍍金宝相華文経箱」(上東門院経箱 国宝)というお経を入れる箱(経箱)が保管されています。



 この経箱は、10円玉の表面で有名な宇治平等院の建立と、摂関政治を始めた事で有名な藤原道長(966~1026年)の長女で、一条天皇の中宮である上東門院彰子(988~1074年)が、比叡山横川の如法堂に奉納されたもので、大正12年に出土しました。
 平安時代の金工作品としての技術的、また考古学的な価値は計り知れず、現在国宝の指定を受けていますが、今回の論文には、それ以上に興味深い事案が発表されています。

 この経箱には、表面の刻まれた勇壮な唐風の文様が印象的ですが、箱の蓋を開けると裏面には、日本で確認されている中では現在最古の「和風文様」が施されています。
 宮川氏の話では、この和風文様こそが日本最古の「かわいい」ものだそうです。
箱裏
経箱の裏面 表の唐文様に比べ、スペースが贅沢に使用されている
 
 平安時代当時は、国風文化が隆盛を極め、唐から伝わった男らしい漢字より、日本独特の女性らしいひらがなを使って文を書く事が流行りとなってきた。同じ平安時代に紫式部によって書かれた『源寺物語』の中でも、主人公の光源氏が「今時漢字で手紙を書くなんてダサいわぁ~」てな事を言っているシーンがあるらしい。
 
 漢字に比べてひらがなは、ゆったりとしたイメージを持っていて、男らしく直線的でキッチリした漢文の手紙より、スペースを贅沢に使いながら円を多用したかな文字を散りばめた手紙のほうが、一見して優雅な女性的で美しい。『小倉百人一首』にみられるような大胆な文字の構図もひらがなだからこそ、平安貴族の雅な雰囲気が醸し出されるのだろう。

 この経箱の裏面には、華の文様が贅沢に散りばめられており、まさしくひらがなの構図がそのまま使用されている。しかも、裏面ということで、おそらく経典を納めた彰子とその周りの数人しかその文様を知らなかったことだろう。
 宮川氏はその日本人独特の奥ゆかしさこそが重要で、この人目に付くことの無い和風文様こそが「かわいい♡」の起源ではないかということだ。

裏面のスケッチ

 現代においても、とかく女性は毎日どこでも何を見ても「かわいい♡」と言っているが、その起源が平安時代から続いており、また、我が「お山」出土品で証明されたことを考えると、なかなか感慨深いものがありますな。

 

漢(おとこ)たちの夏~北嶺回峰行者の葛川夏安居~

 7月16日といえば、ほとんどの人が京都祇園祭の「宵山」を思い浮かべることだろうが、一山隔てた大津市の湖西部においては、16日といえば、北嶺回峰行者葛川夏安居(ほくれいかいほうぎょうじゃかつらがわげあんご)の始まりを意味する。

 葛川夏安居とは、荒行で有名な比叡山千日回峰行(ひえいざんせんにちかいほうぎょう)の創始者である相応和尚(そうおうかしょう831~918年)が、生身(しょうじん)の不動明王を感得(生きながらにして不動明王を感じ、一体となること)せんと荒行を重ねた末、辿りついた葛川で出会った此の地の地主神の眷属である、葛野浄鬼・浄満(くずのじょうき・じょうまん)という二人の童子に導かれ、三ノ滝に投身した所、ようやく不動明王を感得したと云う伝承を今に伝える伝統行事である。

 約1100年、祇園祭りとほぼ同じ時期から伝わるこの行に、全国より北嶺回峰行者が集い、比叡山中の行者の拠点である無動寺(むどうじ)より大津市葛川の明王院(みょうおういん)まで、約30キロにわたる道のりを行道し、相応和尚の如く不動明王を感得せんと、蓮華会等の法要を始め、断食などの荒行を5日間修する。

 午前3時、比叡山中の行者たちの拠点である無動寺(むどうじ)を出発した漢(おとこ)たちは、午前4時には、麓にある無動寺総本坊金蔵院(むどうじそうほんぼうこんぞういん)に到着。身支度を整える。
 その頃、金蔵院の門前には既にお見送りとお加持を受けるため、地域の人々が集まって来る。
白鷺と称される白一色の浄衣(じょうえ)に身を包んだ漢たちは、待ち受ける人々にお加持を与え、「行ってまいります」と感謝の言葉を述べ坂本の街を出発した。
金蔵院お加持を待つ坂本の人々

 坂本~雄琴~堅田~伊香立と行道する漢たち。途中いたるところで人々がお加持を待つ。
 国道では、琵琶湖へとレジャーに向かう青年たちの車と何台もすれ違う。今、目の前で歩くことも許されず、先輩行者に軍隊さながらにシゴかれる新行者と、おそらく同年代だろう。毎年のことながら、同じ年代でどうしてこれほど価値観が違うのかと考えさせられる。
田んぼ
雄琴付近でお加持を与える行者

 新行者とは言えど、最低5年間の小僧修行をしながら所定の学歴を履修し、比叡山に3年間籠り一度も山を下りずに修行し、百日間の回峰行を終えた後、初めて夏安居に参加することを許されるいわば僧侶のエリートである。行者の中には日本最高学府の卒業生や博士号を取得したものなどもおり、まさしく心身ともに鍛え上げられた漢たちである。

 漢たちは、大津市途中(とちゅう)の勝華寺(しょうげじ)で、お斎(休憩や食事をとる)を受け、夏安居前半の山場である「花折峠越え」への身支度を整える。
 ここから花折峠までは、1000年以上にわたり勝華寺の管理を代々任されている宮垣善兵衛氏が案内に当たる。
宮垣氏の杖を始め、漢たちの錫杖の先には手折られた樒(しきみ)が添えられ、「花折」の由来ともなっている。

 午後12時半、勝華寺前に居並ぶ人々にお加持を与えながら、漢たちは出発した。今年は日差しの照りつけも少なく多少は楽に峠を越えられるかも知れない。

花折峠で案内を交代する宮垣善兵衛氏 杖の先には「花折」の語源である樒の花折れが見える

 花折峠に差し掛かると、案内役は、前出の葛野浄鬼・浄満さんのご子孫にバトンタッチされる。
 歴史がどのように変わろうとも、1100年間にわたり決して変わらないものが、今年も目前で何気なく行われている。歴史マニアにとっては垂涎の瞬間だが、当事者にとっては日常であり、来年も再来年もただそれが自然に繰り返されて行く。
 それが歴史と云うものなのだなとしみじみ感じた。

花折峠で漢たちを待つ浄鬼・浄満の両氏

 花折峠より比叡のお山を拝した漢たちは、その後安曇川沿いを行道し、午後3時半に葛川明王院に無事到着。
しかし修行は始まったばかり、これから5日間にわたり続けられ、明王院境内を所狭しと行者は走り回ることとなる

 
花折峠から比叡を拝する漢たち

ひと足お先に祇園祭り

 明日は仕事が休みのため、夜中のチャリトレーニングのついでに、四条通りをぶらり。ひと足お先に祇園祭りの鉾を見てきた。

 祇園祭りとは、869(貞観11年)以来、疫病と怨霊の調伏を願い、無病息災を祈って1100年以上にわたり続けられている日本三大祭りの一つで、巡航する鉾の数は、当時の日本国内の国の数66カ国に由来するそうだ。

 京都人であらば学生の頃、まだ梅雨の明けきらないジメジメするこの時期に、なんと無くそわそわして来て、クラスの女子が、誰と宵山に行くのかなんて、気になったりしたものである。
 私の場合も高校時代に、気になるクラスの女子に勇気を振り絞り、思い切って誘ってみたが、「その日洗濯しなアカンから」と、今だに忘れもできない程の意味のわからん言い訳で、見事に撃沈した苦い思い出がありますわ。
(^-^;

 その時のトラウマか? はたまた幼小の頃のおばあちゃんの言い付けを頑なに守ったせいか?、そろそろ41年を数えようとする人生の中で、祇園祭りに行ったことが只の一度もなかったのでした。

 長刀鉾①
 長刀鉾②長刀鉾の遠景と近くから撮ってみた

 実際に、長刀鉾を筆頭に真夜中の四条通りを約3、400m間隔でそびえ立つ鉾を目前にすると、さながら四条通に突如出現した「巨神兵」か?あるいは、今風に「進撃の巨人」達かの如く異様な畏怖を感じさせるものがある。
 人影もまばらな複数の鉾を眺めながら、明日、あさってとこのあたりを数え切れないほどの人間が埋め尽くす事を考えると、今のこの現状、京都に生まれたことと、チャリに出会えたことに感謝しなければいけないと思った。

鉾
菊水鉾
 何か軽いノリで、祇園祭りバージンを脱してしまったので、そろそろ、普通に宵山あたりに顔を出しても良さそうな頃かも知れないなぁなどと考えながら帰途についたのでした。
 
 

お山と言えば

 鎌倉時代、親鸞聖人の師僧で『愚管抄』を著した天台座主慈円(慈鎮和尚)は、

「世の中に 山てふ山は 多かれど 山とは比叡の み山をぞいう」
と詠まれた。

 平安時代に山城の地に都がおかれ平安京となり、その鬼門の方角にそびえる比叡山に延暦寺が鎮護国家の大道場として建立されて以来、我が国では「山」と言えば、比叡山のことを指す代名詞だったんです。
  江戸時代になり、文化の中心が関東に移ってしまい、今では、「山」と言えば、完全に富士山に取って代わられましたけどね。(^-^;  いや~この度も、富士山が世界遺産に登録され、心から祝福をしております。

 つまり「やま法師」とは、比叡山を意味する「やま」と僧侶を意味す方る「法師」が合わさった言葉で、「やま法師」と言えば、比叡山延暦寺のお坊さんのことのみを指す訳なのです。
 今だに地元の人々は、比叡山のことを「おやま」と呼ばれるますけどね(^_-)

 わたしも、長年のボンクラな生活が祟り、人生が窮地に立ちかけましたが、奇瑞の仏縁で「おやま」にご縁を頂くことができ、心身ともに救われることができました。

 今後の人生を「おやま」に捧げ、このブログを通じて、何とか皆さんに「おやま」の魅力や、そこに生きる方々の素晴らしさを伝えていければと思います。
 また、それだけでは退屈なブログになってしまいますので、趣味のロードバイクで京都の観光地の散歩や、商業用のガイドブックでは絶対書く事のできない、京都のB級グルメのリアルな批評をどんどんアップしていこうと思います。

比叡山より大阪湾を望む②

 写真は、比叡山上から見渡した京都、大阪市街です。画面右には「大阪WTCビル」を、左端には日本一のビル「阿倍野ハルカス」を望むことができます。

 
プロフィール

やま法師

Author:やま法師
 生まれはおろか、戸籍を尋ねてみても、江戸時代の文久年間までは、とりあえず遡ることが確認できた京都(宇治郡・醍醐)人。当時の身分制度から考えるとそれ以前よりご先祖さまが、此の地に定住していたことは間違いない。
 
 生来よりのきかん坊で、自由奔放な青春を謳歌し、30代後半まで犯罪スレスレの生業で生計を立てるも、ある日奇瑞の仏縁を頂くことで、これまでの諸行を省みて仏に帰依する。

 得度授戒をしていない凡夫、いわゆる一般人のなかでは、日本仏教の母山である比叡山延暦寺に一番近い立場の人間となれたことへ報恩感謝し、その証として、ブログを通じてリアルな比叡山の情報を発信して行きたい。

 また、職権を利用することで、昨今よく目にする京都の観光情報のみを紹介するブログとは一線を画した、歴史的かつ、宗教的な側面を踏まえ、本物の「心の癒し」を目的とした京都並びに周辺の観光情報を紹介して行きたい。

 その一方、趣味のロードバイクを駆使することで、大好物のラーメンを始めとしたB級グルメ等を細やかに発信し、全国より京都へ訪れてくれた方々への一助となりたい。

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