各地の地蔵盆に行ってみた~坂本六地蔵巡礼~
8月の23日から24日にかけて、全国的に各地の路地辻にある地蔵堂において「地蔵盆」が執り行われます。
比叡山麓の坂本地区においても、今日は各町内の路地に祀られているお地蔵様に、子どもたちが手を合わせている場面に良く出くわします。
最近、毎回坂本のネタばかりで恐縮ですが、夏休みが明けてから、色々な重要法要が重なって休みが取れない上、ほぼ毎日坂本界隈をウロウロしていますので、もうしばらく『坂本時報』ネタで勘弁してください。(^^;
しかし坂本の町というところは、ほんの2~3Km四方の区域の割に、織田信長による焼き討ちはあったものの、歴史的価値の高い建造物や遺物が多く、地域の皆さんが伝統を後世に伝えていこうという意識も高いので、他の観光地に比べると相当に密度の濃い観光を楽しめると思うのですが…
圧倒的に観光客も少ないですし、気候の良い季節に、一日ゆっくりと司馬遼太郎の『街道をゆく16比叡の古道』を読みながら探索したいものです。

さて、話を地蔵盆に戻しますが、そもそも地蔵盆とは、六道(天・人・阿修羅・餓鬼・畜生・地獄)に迷える一切の衆生を救ってくださる地蔵菩薩の縁日が毎月24日ということと、盂蘭盆会(いわゆるお盆の期間)が8月に執り行われるのを兼ねて、いつも子どもたちを見守って下さっているお地蔵様に、日頃の報恩と感謝の誠を捧げる慣わしで、特に近畿地方では盛大に行われているそうです。
坂本地区においては、霊験あらたかな『坂本六地蔵』が有名で、早尾(はやお)、明良(あきら)、穴太(あのう)、阿波羅家(あばらや)、比叡辻、苗鹿(のうか)の6ヶ所に、伝教大師様がお造りになったと伝わる地蔵菩薩像が、第3世天台座主の慈覚大師によって今の地に据え置かれたと云われています。
通常では、拝観をしていない地蔵堂もあるのですが、本日は「地蔵盆」の日ですので、すべての地蔵堂で法要が営まれ、一般にも公開しています。
そんな訳で、年に1度しかないこの機会に、六地蔵の巡礼を兼ねてレポートをしてきました。
上の写真は早尾地蔵で、坂本六地蔵の中心を担っています。
比叡山の入口の本坂(ほんざか・坂本の地名は、この本坂の本にあることから名付けられました)と日吉大社の三の鳥居の中間にある、六角形のお堂の中に祀られた地蔵尊は、「子育て地蔵」と呼ばれ、安産や子宝、頭の病にもご利益があるそうです。
また、比叡山の数ある僧侶の中でも、六名しかおられない朝廷から謚号(しごう)を諡られたうちの一人で、西教寺の天台真盛宗を開いた慈摂大師(じしょうだいし)真盛上人(しんせいしょうにん)がお生まれになられた時、この地蔵尊が姿を消し、ご逝去されてから再びこのお堂に戻ったと云う故事から、真盛上人はこの早尾地蔵の生身と云われ、よって「かくれんぼ地蔵」とも呼ばれています。
訪れた時には、ちょうど法要中で、すぐ近くの里坊求法寺(ぐぼうじ)の住職で延暦寺執行(えんりゃくじしぎょう・天台座主より延暦寺の一切の取り仕切りを託された、謂わば会社でゆう社長)さんが導師を勤めておられました。

次は、坂本の街の真ん中あたりに位置する明良地蔵。
このお地蔵さんは普段公開していませんが、ちょうどこの日はお堂に伝わる宝物の虫干しも兼ねており、年に1度の勝縁を頂きました。
胸や胃腸の病にご利益があるとのこと。
記録を残したいと地域の方に話すと、気軽に写真を撮らせてくれました。

鶴喜そばの前から、坂本らしい歴史的情緒溢れる路地を唐崎方面に向かうと、坂本のはずれ、ちょうど穴太との境目に穴太地蔵があります。
このお地蔵さんは、北国街道が滋賀から穴太へさしかかる曲がり角の三叉路にあるため「まわり地蔵」とも呼ばれ、人生の選択を迫られるような時、例えば受験や就職のなどの良縁にご利益があり、また、村の入り口に安置されて病気や災難が入り込まぬよう守って下さるので「延命地蔵」とも呼ばれています。
ここもちょうど法要が営まれていましたが、地域の方々が気軽に写真を撮らせてくれました。

坂本の平和堂(アルセ)横にある阿波羅屋地蔵。
この「アバラヤ」は大日如来の御真言の一説を名前の由来としており、決してボロ家の「アバラ家」ではありません。下半身の病にご利益と云われていますので、41歳のオッサンはひときわ丁寧にお参りしておきました。(^-^)
あと、子どもの「疳の虫」や「夜尿」にもご利益があるそうです。

そろそろバテてきましたが、もうひと踏ん張り。
ここは、坂本から少し離れますが、雄琴から国道161をまたぎ、苗鹿(のうか)の那波加神社(のうかじんじゃ)の前の細い山道を10分ぐらい登った所にある「法光寺」内の苗鹿地蔵です。この地蔵堂のみ、延暦寺とは別の天台寺院の中にあります。
さすがに、到着が夕方近くになったので、法要が終わり後片付けの最中でした。このお地蔵さんは足腰の健康にご利益があるそうです。

最後は、坂本から161号をまたいだ比叡辻の観福寺にある、比叡辻地蔵。
旧北国街道沿いにあり、坂本の門前町の風情とはまた一味違った街道筋の情緒に溢れています。
湖西から北国へ向け旅立つ数多の人々が「旅の安全」を願い、この比叡辻のお地蔵さんに祈ったことでしょう。
お地蔵さんの右上部の損傷は、織田信長の軍勢による破壊の傷跡だそうです。歴史は教科書の中ではなく、実際にあった生々しさの積み重ねであることを実感させられますね。(T ^ T)
以上、足早に車で駆けつけてレポートしました。
今回は、とにかく公開しているお地蔵さんのお写真を残しておきたかったので、写真に重きを置きましたが、次回は、もう少し季節が落ち着いてからチャリンコでゆっくりと、一つ一つのお地蔵さんと対話するように巡りたいものです。
心あるかたは、一度巡礼してください。年に一日くらいは、ゆっくりと6ヶ所を巡って自分と見つめ合ってみるのもいいものですよ。
坂本六地蔵の詳しい位置はこちらをクリックしてください。Googleマップにリンクします。
比叡山麓の坂本地区においても、今日は各町内の路地に祀られているお地蔵様に、子どもたちが手を合わせている場面に良く出くわします。
最近、毎回坂本のネタばかりで恐縮ですが、夏休みが明けてから、色々な重要法要が重なって休みが取れない上、ほぼ毎日坂本界隈をウロウロしていますので、もうしばらく『坂本時報』ネタで勘弁してください。(^^;
しかし坂本の町というところは、ほんの2~3Km四方の区域の割に、織田信長による焼き討ちはあったものの、歴史的価値の高い建造物や遺物が多く、地域の皆さんが伝統を後世に伝えていこうという意識も高いので、他の観光地に比べると相当に密度の濃い観光を楽しめると思うのですが…
圧倒的に観光客も少ないですし、気候の良い季節に、一日ゆっくりと司馬遼太郎の『街道をゆく16比叡の古道』を読みながら探索したいものです。

さて、話を地蔵盆に戻しますが、そもそも地蔵盆とは、六道(天・人・阿修羅・餓鬼・畜生・地獄)に迷える一切の衆生を救ってくださる地蔵菩薩の縁日が毎月24日ということと、盂蘭盆会(いわゆるお盆の期間)が8月に執り行われるのを兼ねて、いつも子どもたちを見守って下さっているお地蔵様に、日頃の報恩と感謝の誠を捧げる慣わしで、特に近畿地方では盛大に行われているそうです。
坂本地区においては、霊験あらたかな『坂本六地蔵』が有名で、早尾(はやお)、明良(あきら)、穴太(あのう)、阿波羅家(あばらや)、比叡辻、苗鹿(のうか)の6ヶ所に、伝教大師様がお造りになったと伝わる地蔵菩薩像が、第3世天台座主の慈覚大師によって今の地に据え置かれたと云われています。
通常では、拝観をしていない地蔵堂もあるのですが、本日は「地蔵盆」の日ですので、すべての地蔵堂で法要が営まれ、一般にも公開しています。
そんな訳で、年に1度しかないこの機会に、六地蔵の巡礼を兼ねてレポートをしてきました。
上の写真は早尾地蔵で、坂本六地蔵の中心を担っています。
比叡山の入口の本坂(ほんざか・坂本の地名は、この本坂の本にあることから名付けられました)と日吉大社の三の鳥居の中間にある、六角形のお堂の中に祀られた地蔵尊は、「子育て地蔵」と呼ばれ、安産や子宝、頭の病にもご利益があるそうです。
また、比叡山の数ある僧侶の中でも、六名しかおられない朝廷から謚号(しごう)を諡られたうちの一人で、西教寺の天台真盛宗を開いた慈摂大師(じしょうだいし)真盛上人(しんせいしょうにん)がお生まれになられた時、この地蔵尊が姿を消し、ご逝去されてから再びこのお堂に戻ったと云う故事から、真盛上人はこの早尾地蔵の生身と云われ、よって「かくれんぼ地蔵」とも呼ばれています。
訪れた時には、ちょうど法要中で、すぐ近くの里坊求法寺(ぐぼうじ)の住職で延暦寺執行(えんりゃくじしぎょう・天台座主より延暦寺の一切の取り仕切りを託された、謂わば会社でゆう社長)さんが導師を勤めておられました。

次は、坂本の街の真ん中あたりに位置する明良地蔵。
このお地蔵さんは普段公開していませんが、ちょうどこの日はお堂に伝わる宝物の虫干しも兼ねており、年に1度の勝縁を頂きました。
胸や胃腸の病にご利益があるとのこと。
記録を残したいと地域の方に話すと、気軽に写真を撮らせてくれました。

鶴喜そばの前から、坂本らしい歴史的情緒溢れる路地を唐崎方面に向かうと、坂本のはずれ、ちょうど穴太との境目に穴太地蔵があります。
このお地蔵さんは、北国街道が滋賀から穴太へさしかかる曲がり角の三叉路にあるため「まわり地蔵」とも呼ばれ、人生の選択を迫られるような時、例えば受験や就職のなどの良縁にご利益があり、また、村の入り口に安置されて病気や災難が入り込まぬよう守って下さるので「延命地蔵」とも呼ばれています。
ここもちょうど法要が営まれていましたが、地域の方々が気軽に写真を撮らせてくれました。

坂本の平和堂(アルセ)横にある阿波羅屋地蔵。
この「アバラヤ」は大日如来の御真言の一説を名前の由来としており、決してボロ家の「アバラ家」ではありません。下半身の病にご利益と云われていますので、41歳のオッサンはひときわ丁寧にお参りしておきました。(^-^)
あと、子どもの「疳の虫」や「夜尿」にもご利益があるそうです。

そろそろバテてきましたが、もうひと踏ん張り。
ここは、坂本から少し離れますが、雄琴から国道161をまたぎ、苗鹿(のうか)の那波加神社(のうかじんじゃ)の前の細い山道を10分ぐらい登った所にある「法光寺」内の苗鹿地蔵です。この地蔵堂のみ、延暦寺とは別の天台寺院の中にあります。
さすがに、到着が夕方近くになったので、法要が終わり後片付けの最中でした。このお地蔵さんは足腰の健康にご利益があるそうです。

最後は、坂本から161号をまたいだ比叡辻の観福寺にある、比叡辻地蔵。
旧北国街道沿いにあり、坂本の門前町の風情とはまた一味違った街道筋の情緒に溢れています。
湖西から北国へ向け旅立つ数多の人々が「旅の安全」を願い、この比叡辻のお地蔵さんに祈ったことでしょう。
お地蔵さんの右上部の損傷は、織田信長の軍勢による破壊の傷跡だそうです。歴史は教科書の中ではなく、実際にあった生々しさの積み重ねであることを実感させられますね。(T ^ T)
以上、足早に車で駆けつけてレポートしました。
今回は、とにかく公開しているお地蔵さんのお写真を残しておきたかったので、写真に重きを置きましたが、次回は、もう少し季節が落ち着いてからチャリンコでゆっくりと、一つ一つのお地蔵さんと対話するように巡りたいものです。
心あるかたは、一度巡礼してください。年に一日くらいは、ゆっくりと6ヶ所を巡って自分と見つめ合ってみるのもいいものですよ。
坂本六地蔵の詳しい位置はこちらをクリックしてください。Googleマップにリンクします。
スポンサーサイト