パワースポット研究⑧「仏の結界編」~日本一 比叡山延暦寺の完璧すぎる鬼門封じ~
前回「本当に癒される京都のパワースポット研究 仏の結界編~」の第1回では、自らが「死」した後も、平安京を万世にわたって護り続ける「和気清麻呂公」の墓所であり、そして、その地を託された「弘法大師空海」さん始めとした、真言宗一門が護り続けている「神護寺」の話を取り上げました。
しかし前回の話では、まだ「仏の結界」をひとつの「点」でしか紹介出来ていないですよね。
そんな訳で今回の「本当に癒されるパワースポット研究⑧」「仏の結界編」の第2弾は、
「日本仏教の母山」であり、私の「心の拠り所」でもある「比叡山延暦寺」の平安京における「三大大社の結界」と「仏の結界」の「2つの結界」を用いて
「完璧に京の鬼門を封じている」件についてお話したいと思います。

昨年の秋に撮影した延暦寺総本堂根本中堂
この「延暦寺」へ登叡される場合は、旧態依然のビジネスモデルを未だに引きずった、日本でも有数の高額な運搬料金を支払わなければなりません。(>_<)
一般的に公共機関で登叡される場合は、JR湖西線「比叡山坂本駅」で下車し、坂本の街の上り坂を20分ほどかけて「ケーブル坂本駅」まで歩きます。その後「ケーブルカー」で山上まで行き、そこから10分ほど歩きます。
運賃は大人一人往復で1570円です。
また、毎年3月21日から12月1日までの春から秋までの期間は、京都駅から三条京阪、京阪出町柳駅経由で比叡山内の東塔バスセンターまで行く「ドライブバス」が、毎日午前8時半から12時半まで5本運行しております。
運賃は東塔バスセンターまで一人片道750円です。
ちなみに山内に入ってからのシャトルバスは一日乗り放題で一人800円になります。
車で来られる場合は、悪名高き「日本一高額料金」の比叡山・奥比叡ドライブウェイのどちらかを通らないと辿り着けません。
表の入口である比叡山DWを、「田の谷」ゲートから入り延暦寺まで、往復で1620円。その後、西塔、横川へと回り、裏の堅田方面へとつながる奥比叡DWの仰木ゲートまで抜けると2320円。京都方面へ帰る「田の谷」の表ゲートまで戻ると何と3120円かかります。
その上、延暦寺の参拝料金が大人一人550円かかります。
すなわち、大人二人がデートか何かで延暦寺に登叡しようした場合、全てのお堂を見て回るのに、「ケーブル」で登って、「シャトルバス」で巡回すると5840円。
京都駅から「ドライブバス」で同じコースだと4200円。お車の場合で最大4220円もかかることになります。
これじゃ、なかなか気軽にお参りに来れないのが現状です。(>_<)
まぁ…身内の私が言うのも何なんですが、もともと日本仏教史上で初めて「山修山学」(さんしゅうさんがく)という「都から離れた山奥で政治に関わることなく、修行しながら日々都の平安を祈る」と言った,
「仏教の理想」を実践した「聖地」なので、そもそも一般人が足を踏み入れること自体が「想定外」だったんですね。
それ程の「聖地」に、歩くこと無く「自動車」で来れるようになっただけでも…とは思いますが…
まぁそれにしても「高い」ですよね。(~_~;)
がしかし、これから私が提示する、「延暦寺」が平安京の「鬼門」を完全に封じている「日本最大のパワースポット」たる証拠を見れば、この少々「お高い」運行コストを差し引いてでも「登叡参拝」される慶びを感じていただけると思います。
と思っていただけるよう努力します。

昨年の横川中堂の紅葉。
今年の紅葉はこれ以上に赤くなると予想されています。少々「お高い」比叡山・奥比叡の両ドライブウェイですが、見に来て損はないですよ。
「比叡山延暦寺」は、「伝教大師最澄」(でんぎょうだいしさいちょう)さまがお開きになられたことは歴史の教科書や、TVの特集などでご存じの方も多いと思います。
この最澄さま、子供の頃からまれに見る「天才児」で、若干19歳にして「日本で年間5人しか受からない」今でゆう「エリート官僚」(当時お坊さんになるには国の許可が必要だったので、国家公務員だったんです)になるための試験に見事合格。
しかも、そのご尊顔は色白の女顔で、かなりの「イケメン」。その上生涯で声を荒立てて「怒った」ことが一度もないと云われるほどの「優しさ」を持つ、まさに「完璧」な人物でした。
欠点があるとすれば、あまりに真面目すぎること。
後に最澄さんと共に「仏教界の二大巨人」となられる弘法大師「空海」さんも「ドン引き」してしまうほどの「生真面目さ」だったと云われています。
さて、この最澄さまが19歳で「比叡山」に登られ、「延暦寺」当時の「比叡山寺」を開基された訳なのですが、最澄さまが比叡山に登られた一番の理由は、当時の「奈良」を拠点とした古来からの「南都仏教」には「人々を救える術がない」と減滅・失望されてとのことだったと云われています。
今回は「仏の結界」を中心にお話をしているのでお寺の詳細は省かせていただきますが、
当時最澄さまは、現在の延暦寺東塔東谷(とうとうひがしたに)の虚空蔵尾(こくうぞうお)という場所に「一乗止観院」(いちじょうしかんいん)という草庵を結ばれたとあります。
ほとんどの書物には、この「一乗止観院」が後の「延暦寺総本堂」である「根本中堂」(こんぽんちゅうどう)になると書いてあるのですが、「延暦寺」の研究者である「延暦寺執行」(えんりゃくじしぎょう・延暦寺の実務の取り仕切りを天台座主から任された、会社でゆう社長のような役職)武覚超(たけかくちょう)師によれば、実際は最澄さまが庵を結ばれたのは、現在の「本願堂」跡(ほんがんじあと)で、「根本中堂」はその場所から、100メートルほど南にあります。
当初から現在のように巨大な「根本中堂」を建築する予定などはなかったと思われますので、私は立地条件を考えて「一乗止観院」をその場所に建立した訳では無いと思うんですね。

比叡山横川地域の元三大師堂です。
地面に落ちたゴミであるはずの「紅葉」に美しさを感じるのは、我々「日本人」だけでしょう。
この独特の美意識が私は大好きです。
「延暦寺」が「京都の鬼門」を護るために建てられたといのはみなさん良くご存知だと思いますが、そもそも最澄さまは、「都の鬼門」を護るために比叡山にこもられたのでは無く、実は、ただ単にご自身の出身が山麓の坂本だからなんですね。
最澄さまのご出生で伝わるのは、ご父母がなかなか子宝に恵まれないため、お父さまが比叡山麓の八王子山(はちおおじやま)にこもって己の罪を懺悔(ざんげ)し、その4日目に妊娠の兆候がみられ、お生まれになられたのが最澄さまだそうです。
だから最澄さまは、その天才振りから「比叡の神の子」と呼ばれていたそうです。
その後、若干19歳にして「南都の仏教では衆生を救えない」と考え、「エリート官僚への道」を捨ててまで「全ての人を救える方法がわかるまで山麓には下りない」と誓いを立て比叡山にこもられます。
しかしこれは、決して「平安京を護る」ためにこもられたのではありません。
でも結果として、この山は都の鬼門に位置しており、王城鎮護を担う寺を建立することとなる訳です。
この「因縁」を考えると、さすがに最澄さまは「比叡の神の子」と思わざる得ないですよね。(^-^)
最澄さまは比叡山にこもり、モーレツに法華経(ほけきょう)の研究に勤しまれる訳ですが、そこは「嚢中の錐」(のうちゅうのきり・実力のある人は、袋の中にしまいこんでも先の尖ったキリのように突き破って頭角を表すという意味)。その天才ぶりを桓武天皇が放って置くわけがなく、天皇に直接お目見えし「加持祈祷」(かじきとう)するお坊さん「内供奉十禅師」(ないぐぶじゅうぜんじ)に任命されます。
その後、前回の「神護寺編」でお話しました通り「和気広世」「真綱」兄弟の心をも鷲掴みにし、「高雄山寺の法華講経論義」(ほっけこうきょうろんぎ)をもって、最澄さまが名声を手に入れ、世に出るきっかけとなったのです。
最澄さまの生まれから、青年期までをザッとお話しした訳ですが、最澄さまはその頃あたりから、この「延暦寺」が「平安京の鬼門を護っている寺」という概念が出来てきたのではないかと、私は思うわけなんです。
その考えのもと、平安京の鬼門を護る「一乗止観院」、後の「根本中堂」の建立に至ったと思うのです。
「延暦寺」が、いかに鬼門封じの中心として建立されている寺院なのかということを図で説明すると、

見て下さいこの完璧な「鬼門の結界」を。
上の図の中心の「三角形の結界」は、以前に紹介した京都の2大豪族と桓武天皇が平安京を護るために創り上げた「平安京の三大大社の結界」です。
そして、その三角形の上方を通るラインは前回紹介した「神護寺」から「上賀茂神社」、「崇導神社」、「延暦寺」へと繋がる「仏の結界」の北方を護るラインとなります。
そして今回は、新たに図の中に、平安京の「大極殿」から延暦寺の「根本中堂」へと向かう「平安京の鬼門」を護る「斜めのライン」を入れました。
この「鬼門」のラインは、比叡山上の「延暦寺根本中堂」から、現在の「京都御所」の「猿が辻」を通り、「平安京大極殿」の方向に「ピッタリ」と真っ直ぐ直線で結ばれています。
しかも、このラインは「本願堂」跡から出発すると、ここまで「ピッタリ」と重なりません。
「一乗止観院」、後の「根本中堂」から出発しないと微妙にズレてきます。測量したかのように見事にはまっています。
また、下の方の図はその「鬼門」のラインを拡大したものです(赤く塗ってある所が内裏跡、現在は小学校になっています)。

この拡大図を見て下さい。
このラインは見事に「京都御所」の東北の鬼門「猿が辻」を通過し、「大極殿」の中でも特に重要な「天皇」が住まわれ、実際に政務を執られた「内裏」を終点とします。
この「鬼門ライン」と「仏の結界ライン」を見るといかに「延暦寺」が都の「鬼門封じ」の役割を担っていたかひと目でおわかりでしょう。
鎌倉時代後期(かまくらじだいこうき)に造営された、「里内裏」(さとだいり・天皇が内裏以外に一時的に住まわれる場所)である「京都御所」さえも、この延暦寺への「鬼門封じライン」に沿って御所の「鬼門」に当たる「猿が辻」を作りそこに比叡山麓にある「山王総本宮日吉大社」(さんのうそうほんぐうひよしたいしゃ)より「魔猿」(まさる・魔が去るとして、日吉大社の神獣とされる)を「歓請」(かんじょう)してまで「厄除け」をしています。

京都御所の北東、いわゆる「鬼門の方角」の「猿が辻」には、塀と塀の角を意図的に「欠け」させ、その「欠け」に「魔猿」を祀る

烏帽子を冠り、白い弊を肩に担ぐ「まさる」。役割を忘れ、夜な夜な逃げ出しては都で悪さをはたらくため、金網で囲まれてしまったらしいです(*^_^*)
みなさんいかがですか?
「延暦寺」がいかに完璧に「平安京の鬼門」を封じているか、「目で見て」理解していただけたと思います。
しかも単に封じているだけで無く、毎日、回峰行者を含めた相当数のお坊さんが、この「鬼門封じのライン」に沿って、京の都の平安を祈り「勤行」する訳です。
1225年間、毎日欠かさずです。
まさしく「完全」に「理」にかなった「日本一のパワースポット」でしよ。
世の中に、有名な「パワースポット」は数多くあります。
しかしその多くが、「廟」(びょう・つまりお墓とか亡くなった方の魂を慰めるために創られたもの)なり、自然崇拝の象徴となるべきものであって、「自然の地形」と「風水による人智」を「仏の力」で護るという「自然・人・仏」が融合した「パワースポット」は他に類を見ないでしょう。
しかも、その「鬼門ライン」を「根本中堂」を南へ移動することにより、「完璧」なものとした最澄さまのお考えに頭が下がるばかりです。
「比叡山延暦寺」では、昨日も、本日も、明日も未来永劫にわたりこの「平安京の鬼門封じ」ラインに沿って「国家安穏」の「祈りと修法」がなされています。特に毎月の1日には、「天台座主猊下」おん自らが山上に登叡され修法を執り行う「国祈会」(こくとうえ)が営まれています。
冒頭で、延暦寺にお参りに来るのは少々「お高い」コストがかかると言いましたが、今日のお話で「延暦寺」がコストに見合う「パワースポット」だと理解していただけたなら幸甚ですね。(^-^)
最後に、まとまりの悪い長文を ここまで読んでくれた方々に少しだけ参拝するのが安くなる方法を教えます。
車で来られる場合、ドライブウェイを奥比叡の「仰木ゲート」から入り、一般とは逆に横川、西塔とお参りして、西塔の駐車場に車を止め、徒歩で「浄土院」を参拝し、その後15分ほど歩く「根本中堂」へとたどり着けます。
その後お参りを済ませて、再び西塔の駐車場に戻り、元きた道を引き返します。
それなりに歩かないといけませんが、PCでクーポン券を印刷して使用すると通常3120円の料金が1280円になります。
参考にしてください。
しかし前回の話では、まだ「仏の結界」をひとつの「点」でしか紹介出来ていないですよね。
そんな訳で今回の「本当に癒されるパワースポット研究⑧」「仏の結界編」の第2弾は、
「日本仏教の母山」であり、私の「心の拠り所」でもある「比叡山延暦寺」の平安京における「三大大社の結界」と「仏の結界」の「2つの結界」を用いて
「完璧に京の鬼門を封じている」件についてお話したいと思います。

昨年の秋に撮影した延暦寺総本堂根本中堂
この「延暦寺」へ登叡される場合は、旧態依然のビジネスモデルを未だに引きずった、日本でも有数の高額な運搬料金を支払わなければなりません。(>_<)
一般的に公共機関で登叡される場合は、JR湖西線「比叡山坂本駅」で下車し、坂本の街の上り坂を20分ほどかけて「ケーブル坂本駅」まで歩きます。その後「ケーブルカー」で山上まで行き、そこから10分ほど歩きます。
運賃は大人一人往復で1570円です。
また、毎年3月21日から12月1日までの春から秋までの期間は、京都駅から三条京阪、京阪出町柳駅経由で比叡山内の東塔バスセンターまで行く「ドライブバス」が、毎日午前8時半から12時半まで5本運行しております。
運賃は東塔バスセンターまで一人片道750円です。
ちなみに山内に入ってからのシャトルバスは一日乗り放題で一人800円になります。
車で来られる場合は、悪名高き「日本一高額料金」の比叡山・奥比叡ドライブウェイのどちらかを通らないと辿り着けません。
表の入口である比叡山DWを、「田の谷」ゲートから入り延暦寺まで、往復で1620円。その後、西塔、横川へと回り、裏の堅田方面へとつながる奥比叡DWの仰木ゲートまで抜けると2320円。京都方面へ帰る「田の谷」の表ゲートまで戻ると何と3120円かかります。
その上、延暦寺の参拝料金が大人一人550円かかります。
すなわち、大人二人がデートか何かで延暦寺に登叡しようした場合、全てのお堂を見て回るのに、「ケーブル」で登って、「シャトルバス」で巡回すると5840円。
京都駅から「ドライブバス」で同じコースだと4200円。お車の場合で最大4220円もかかることになります。
これじゃ、なかなか気軽にお参りに来れないのが現状です。(>_<)
まぁ…身内の私が言うのも何なんですが、もともと日本仏教史上で初めて「山修山学」(さんしゅうさんがく)という「都から離れた山奥で政治に関わることなく、修行しながら日々都の平安を祈る」と言った,
「仏教の理想」を実践した「聖地」なので、そもそも一般人が足を踏み入れること自体が「想定外」だったんですね。
それ程の「聖地」に、歩くこと無く「自動車」で来れるようになっただけでも…とは思いますが…
まぁそれにしても「高い」ですよね。(~_~;)
がしかし、これから私が提示する、「延暦寺」が平安京の「鬼門」を完全に封じている「日本最大のパワースポット」たる証拠を見れば、この少々「お高い」運行コストを差し引いてでも「登叡参拝」される慶びを感じていただけると思います。
と思っていただけるよう努力します。

昨年の横川中堂の紅葉。
今年の紅葉はこれ以上に赤くなると予想されています。少々「お高い」比叡山・奥比叡の両ドライブウェイですが、見に来て損はないですよ。
「比叡山延暦寺」は、「伝教大師最澄」(でんぎょうだいしさいちょう)さまがお開きになられたことは歴史の教科書や、TVの特集などでご存じの方も多いと思います。
この最澄さま、子供の頃からまれに見る「天才児」で、若干19歳にして「日本で年間5人しか受からない」今でゆう「エリート官僚」(当時お坊さんになるには国の許可が必要だったので、国家公務員だったんです)になるための試験に見事合格。
しかも、そのご尊顔は色白の女顔で、かなりの「イケメン」。その上生涯で声を荒立てて「怒った」ことが一度もないと云われるほどの「優しさ」を持つ、まさに「完璧」な人物でした。
欠点があるとすれば、あまりに真面目すぎること。
後に最澄さんと共に「仏教界の二大巨人」となられる弘法大師「空海」さんも「ドン引き」してしまうほどの「生真面目さ」だったと云われています。
さて、この最澄さまが19歳で「比叡山」に登られ、「延暦寺」当時の「比叡山寺」を開基された訳なのですが、最澄さまが比叡山に登られた一番の理由は、当時の「奈良」を拠点とした古来からの「南都仏教」には「人々を救える術がない」と減滅・失望されてとのことだったと云われています。
今回は「仏の結界」を中心にお話をしているのでお寺の詳細は省かせていただきますが、
当時最澄さまは、現在の延暦寺東塔東谷(とうとうひがしたに)の虚空蔵尾(こくうぞうお)という場所に「一乗止観院」(いちじょうしかんいん)という草庵を結ばれたとあります。
ほとんどの書物には、この「一乗止観院」が後の「延暦寺総本堂」である「根本中堂」(こんぽんちゅうどう)になると書いてあるのですが、「延暦寺」の研究者である「延暦寺執行」(えんりゃくじしぎょう・延暦寺の実務の取り仕切りを天台座主から任された、会社でゆう社長のような役職)武覚超(たけかくちょう)師によれば、実際は最澄さまが庵を結ばれたのは、現在の「本願堂」跡(ほんがんじあと)で、「根本中堂」はその場所から、100メートルほど南にあります。
当初から現在のように巨大な「根本中堂」を建築する予定などはなかったと思われますので、私は立地条件を考えて「一乗止観院」をその場所に建立した訳では無いと思うんですね。

比叡山横川地域の元三大師堂です。
地面に落ちたゴミであるはずの「紅葉」に美しさを感じるのは、我々「日本人」だけでしょう。
この独特の美意識が私は大好きです。
「延暦寺」が「京都の鬼門」を護るために建てられたといのはみなさん良くご存知だと思いますが、そもそも最澄さまは、「都の鬼門」を護るために比叡山にこもられたのでは無く、実は、ただ単にご自身の出身が山麓の坂本だからなんですね。
最澄さまのご出生で伝わるのは、ご父母がなかなか子宝に恵まれないため、お父さまが比叡山麓の八王子山(はちおおじやま)にこもって己の罪を懺悔(ざんげ)し、その4日目に妊娠の兆候がみられ、お生まれになられたのが最澄さまだそうです。
だから最澄さまは、その天才振りから「比叡の神の子」と呼ばれていたそうです。
その後、若干19歳にして「南都の仏教では衆生を救えない」と考え、「エリート官僚への道」を捨ててまで「全ての人を救える方法がわかるまで山麓には下りない」と誓いを立て比叡山にこもられます。
しかしこれは、決して「平安京を護る」ためにこもられたのではありません。
でも結果として、この山は都の鬼門に位置しており、王城鎮護を担う寺を建立することとなる訳です。
この「因縁」を考えると、さすがに最澄さまは「比叡の神の子」と思わざる得ないですよね。(^-^)
最澄さまは比叡山にこもり、モーレツに法華経(ほけきょう)の研究に勤しまれる訳ですが、そこは「嚢中の錐」(のうちゅうのきり・実力のある人は、袋の中にしまいこんでも先の尖ったキリのように突き破って頭角を表すという意味)。その天才ぶりを桓武天皇が放って置くわけがなく、天皇に直接お目見えし「加持祈祷」(かじきとう)するお坊さん「内供奉十禅師」(ないぐぶじゅうぜんじ)に任命されます。
その後、前回の「神護寺編」でお話しました通り「和気広世」「真綱」兄弟の心をも鷲掴みにし、「高雄山寺の法華講経論義」(ほっけこうきょうろんぎ)をもって、最澄さまが名声を手に入れ、世に出るきっかけとなったのです。
最澄さまの生まれから、青年期までをザッとお話しした訳ですが、最澄さまはその頃あたりから、この「延暦寺」が「平安京の鬼門を護っている寺」という概念が出来てきたのではないかと、私は思うわけなんです。
その考えのもと、平安京の鬼門を護る「一乗止観院」、後の「根本中堂」の建立に至ったと思うのです。
「延暦寺」が、いかに鬼門封じの中心として建立されている寺院なのかということを図で説明すると、

見て下さいこの完璧な「鬼門の結界」を。
上の図の中心の「三角形の結界」は、以前に紹介した京都の2大豪族と桓武天皇が平安京を護るために創り上げた「平安京の三大大社の結界」です。
そして、その三角形の上方を通るラインは前回紹介した「神護寺」から「上賀茂神社」、「崇導神社」、「延暦寺」へと繋がる「仏の結界」の北方を護るラインとなります。
そして今回は、新たに図の中に、平安京の「大極殿」から延暦寺の「根本中堂」へと向かう「平安京の鬼門」を護る「斜めのライン」を入れました。
この「鬼門」のラインは、比叡山上の「延暦寺根本中堂」から、現在の「京都御所」の「猿が辻」を通り、「平安京大極殿」の方向に「ピッタリ」と真っ直ぐ直線で結ばれています。
しかも、このラインは「本願堂」跡から出発すると、ここまで「ピッタリ」と重なりません。
「一乗止観院」、後の「根本中堂」から出発しないと微妙にズレてきます。測量したかのように見事にはまっています。
また、下の方の図はその「鬼門」のラインを拡大したものです(赤く塗ってある所が内裏跡、現在は小学校になっています)。

この拡大図を見て下さい。
このラインは見事に「京都御所」の東北の鬼門「猿が辻」を通過し、「大極殿」の中でも特に重要な「天皇」が住まわれ、実際に政務を執られた「内裏」を終点とします。
この「鬼門ライン」と「仏の結界ライン」を見るといかに「延暦寺」が都の「鬼門封じ」の役割を担っていたかひと目でおわかりでしょう。
鎌倉時代後期(かまくらじだいこうき)に造営された、「里内裏」(さとだいり・天皇が内裏以外に一時的に住まわれる場所)である「京都御所」さえも、この延暦寺への「鬼門封じライン」に沿って御所の「鬼門」に当たる「猿が辻」を作りそこに比叡山麓にある「山王総本宮日吉大社」(さんのうそうほんぐうひよしたいしゃ)より「魔猿」(まさる・魔が去るとして、日吉大社の神獣とされる)を「歓請」(かんじょう)してまで「厄除け」をしています。

京都御所の北東、いわゆる「鬼門の方角」の「猿が辻」には、塀と塀の角を意図的に「欠け」させ、その「欠け」に「魔猿」を祀る

烏帽子を冠り、白い弊を肩に担ぐ「まさる」。役割を忘れ、夜な夜な逃げ出しては都で悪さをはたらくため、金網で囲まれてしまったらしいです(*^_^*)
みなさんいかがですか?
「延暦寺」がいかに完璧に「平安京の鬼門」を封じているか、「目で見て」理解していただけたと思います。
しかも単に封じているだけで無く、毎日、回峰行者を含めた相当数のお坊さんが、この「鬼門封じのライン」に沿って、京の都の平安を祈り「勤行」する訳です。
1225年間、毎日欠かさずです。
まさしく「完全」に「理」にかなった「日本一のパワースポット」でしよ。
世の中に、有名な「パワースポット」は数多くあります。
しかしその多くが、「廟」(びょう・つまりお墓とか亡くなった方の魂を慰めるために創られたもの)なり、自然崇拝の象徴となるべきものであって、「自然の地形」と「風水による人智」を「仏の力」で護るという「自然・人・仏」が融合した「パワースポット」は他に類を見ないでしょう。
しかも、その「鬼門ライン」を「根本中堂」を南へ移動することにより、「完璧」なものとした最澄さまのお考えに頭が下がるばかりです。
「比叡山延暦寺」では、昨日も、本日も、明日も未来永劫にわたりこの「平安京の鬼門封じ」ラインに沿って「国家安穏」の「祈りと修法」がなされています。特に毎月の1日には、「天台座主猊下」おん自らが山上に登叡され修法を執り行う「国祈会」(こくとうえ)が営まれています。
冒頭で、延暦寺にお参りに来るのは少々「お高い」コストがかかると言いましたが、今日のお話で「延暦寺」がコストに見合う「パワースポット」だと理解していただけたなら幸甚ですね。(^-^)
最後に、まとまりの悪い長文を ここまで読んでくれた方々に少しだけ参拝するのが安くなる方法を教えます。
車で来られる場合、ドライブウェイを奥比叡の「仰木ゲート」から入り、一般とは逆に横川、西塔とお参りして、西塔の駐車場に車を止め、徒歩で「浄土院」を参拝し、その後15分ほど歩く「根本中堂」へとたどり着けます。
その後お参りを済ませて、再び西塔の駐車場に戻り、元きた道を引き返します。
それなりに歩かないといけませんが、PCでクーポン券を印刷して使用すると通常3120円の料金が1280円になります。
参考にしてください。
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